長嶋さんに「ボクを下民のように扱わないでくれ」

2014年03月10日 18時00分

75年4月に来日したジョンソン氏(右)を握手で出迎える長嶋監督
元局アナ 青池奈津子「メジャー“オフ”通信」

【デービー・ジョンソン氏(ナショナルズ前監督):中編】さて、前回に続いて“名将”デービー・ジョンソン氏の話である。現役時代には1975年から2年間、日本の巨人でプレー。異国の地での生活について同氏は懐かしそうに振り返った。

「通訳の人がいつもちゃんと訳してくれなくて、全然分からなかった。まるで映画『ロスト・イン・トランスレーション』だったね」

 この映画は米国人俳優が日本に来て言葉と文化の壁にぶつかりながら、自分と見つめ合う話である。映画同様に苦労は多かったが、経済的には裕福だった。契約金以外にも球団から支給される生活費は毎月約100万円。田園調布に家を借り、メイドと庭師、料理人付きの不自由ない生活であった。日本での体験は「今でも思い出深い」という。

「『アナタハ、ウツクシイデス。ワタシハ、アイシマス』。必要な時にすぐ使えるようにと覚えた日本語だよ(笑い)」

 果たして当時、どれだけの日本人女性を口説いてきたのだろうか——。

「言葉が通じないからデートは大変だったけどね。日本人女性は男性にとても優しくて素晴らしいと思った。僕自身は男女平等だと思っていたけれど、女性が男性を尊重してドアも最初に通す様子には、脱帽だった」

 そしてジョンソン氏が巨人でプレーしたころ、チームを率いていたのは長嶋茂雄監督だった。

「ナガシマは100%、誇り高い日本人だった。彼は王様だった。誰かが必ず付いてきて、タオルが必要だったらその場でもらい、使い終わったらその場に落として歩き続けるんだ。そんな彼とは一度、大ゲンカ寸前になったことがある」

 守備中に親指の付け根を痛めた時のこと。鍼灸治療を薦められたが、東洋医学に触れたことのない米国人の彼には抵抗があった。

「25センチ以上のはりを打たれそうになったんだ。しかもケガしている手ではなく、首に!『ロスのドジャースの医者に診てもらいに行く』と言ったら、長嶋監督が風呂場で私のタオルをはぎ取り、あそこ(股間)を指して『それはニセ物だ。はりを打たないなんて男じゃない』と…」

 思わず大爆笑してしまったが、ジョンソン氏はなおも真剣に続ける。

「結局ロスに行ったんだけど、帰って来ようとしたらビザがなくて戻るのに1週間かかった。当時の新聞には1面で『ジョンソン、お金持って逃げ出す』とポケットにいっぱい札束詰めた絵まで描かれてしまったよ」

 長嶋監督とは日本に戻って来てから話し合いをし、こう言った。

「僕を下民のように扱わないでくれ。僕を放っておいてくれ。ただ、野球がしたいだけなんだ」

 あの長嶋監督に向かって、こんなことが言える選手はなかなかいないだろう。名伯楽のエピソードはまだまだ尽きない。

(つづく:名将ジョンソン氏「次はオーストラリアかな」

☆デービー(デーブ)・ジョンソン=1943年1月30日生まれ。71歳。フロリダ州オーランド出身。身長185センチ、体重83キロ。62年にオリオールズと契約。66年にチームの正二塁手に定着し、新人王を獲得。66年と70年のワールドシリーズ制覇に大きく貢献。ブレーブスを経て75年から巨人へ移籍。入団2年目の76年はチーム2位の26本塁打をマークするなどリーグ優勝に貢献。77年から再びメジャー球団のフィリーズでプレーし、78年にカブスで引退。メッツ、レッズ、オリオールズ、ドジャースで監督業を歴任。五輪やWBCで米国代表チームを率いるなど「屈指の名将」として知られる。

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