巨人でも愛された“デーブ”は球界の“生き字引”

2014年03月09日 18時00分

元局アナ 青池奈津子「メジャー“オフ”通信」

【デービー・ジョンソン氏(ナショナルズ前監督):前編】昨季限りで監督業からの引退を表明したデービー・ジョンソン氏。ナショナルズの前指揮官は日本球界では巨人の「デーブ・ジョンソン」としてもなじみが深く、これまで64年間もの野球人生を歩んできた。球界の“生き字引”のような偉大な人物だ。

 現在70歳でありながら、健康的でファンキー。そんなジョンソン氏から「キョウハ、イイ天気デスネ。アナタハ、ウツクシイデス」と日本語で話しかけられて驚いたことがある。興味深くなって、知将の人生について根掘り葉掘り聞いてみた。

「野球を始めたのは当時ワシントン・セネターズの投手だったジョー・ヘインズ(故人)が偶然、通りの向かいに住んでいたのがきっかけ。彼には僕より少し年下の息子がいて、一緒によくキャッチボールをしていたんだ。その様子を見ていたジョーが、セネターズの春季キャンプに私を連れて行ってくれた。10歳でボールボーイになり、クラブハウスのメジャーリーガーたちを見て『将来、野球選手になる』と言ったんだ。彼らはまさに人生を謳歌していて『僕がやりたいのは、これだ!』そう思ったんだよ」

 彼はそのまま、順調に大学まで進学。野球と勉強を両立し続けた。

「科学や数学が好きだったから“獣医になるのもいいな”と思っていたけど、大学2年を終えた1962年、オリオールズのスカウトからオファーをもらったんだ。当時はまだドラフト制度がなく、他の球団からも声がかかっていたけれど、とにかくそのスカウトが好きだったから『サインする』って言ったんだ。その後3年でメジャーデビュー。翌年にはワールドシリーズ優勝のリングを手にしていたから、僕の選択は正しかったんだね」

 さまざまなチームで選手、引退後も監督として多大な功績を築き上げてきたが、自分から仕事を探したことは「一度もない」。いつも誰かに声をかけられるという。

 ニューヨークではメッツを86年に2度目のワールドシリーズ制覇に導いた指揮官として、今でもヒーローだ。「これほど長く野球をやるとは思っていなかった」とジョンソン氏は振り返る。

「自分の職業を考えた時、まず自分に問う。“1番好きなことは何か”とね。2つ目に“自分は何が得意か”を問う。僕は野球が大好きで、野球がうまかったんだ」

 とてつもなく説得力のある言葉だ。私はますます“デービー”について知りたくなった。次回は巨人在籍時代に、あのミスターと一触即発となったことについて書いてみたい。

(つづく:長嶋さんに「ボクを下民のように扱わないでくれ」

☆デービー(デーブ)・ジョンソン=1943年1月30日生まれ。71歳。フロリダ州オーランド出身。身長185センチ、体重83キロ。62年にオリオールズと契約。66年にチームの正二塁手に定着し、新人王を獲得。66年と70年のワールドシリーズ制覇に大きく貢献。ブレーブスを経て75年から巨人へ移籍。入団2年目の76年はチーム2位の26本塁打をマークするなどリーグ優勝に貢献。77年から再びメジャー球団のフィリーズでプレーし、78年にカブスで引退。メッツ、レッズ、オリオールズ、ドジャースで監督業を歴任。五輪やWBCで米国代表チームを率いるなど「屈指の名将」として知られる。

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