【元局アナ青池奈津子のメジャー通信=DJ・ラメーヒュー内野手(ヤンキースからFA)】メモに「もしかして話すのが嫌いなのかも?」と書いてある。

 2018年、ロッキーズだったころのDJ・ラメーヒューのインタビューだ。恐らくやりとりに手応えを感じられず、ごう沈しながら「最後のとりで」の意味合いを込めて書いたと思われるのだが、一人の選手とも直接インタビューができなかったパンデミックの今季。オフ中のネタをどうしようかと、整理できずにいた携帯に残る録音たちを聞き直したら、今を時めく今オフFAの注目株、DJが入っているではないか。

 結論から言うと、DJは恐らく話すのがそこまで得意ではないと思う。プライベート中心に取り上げられた他の記事の中でも「ごめん、自分はインタビューが最も下手な選手だと思う」と答えているものもあった。質問の後には必ず「あー」とか「うーん」と間を空けてから、控えめな声量と端的な答えが返ってくることが多い。

 でも、13分も録音されていたインタビューをじっくり聞き返してみると、実は自らの真実に忠実に話してくれている様子がよく表れている。

 ――プロの選手になるために、若い時に犠牲を払ったと思う?

「恐らく答えはイエスなんだけど、そういうふうには思いたくないんだ。夢だったから楽しんでいたし、途中で何かを犠牲にしたとしてもそれは価値あるものだった」

 ――辞めたいと思ったことは?

「自分のふがいなさに今日は野球選手でいたくないと思ったことはあるけど、辞めたいと思ったことはないよ」

「人生で一番つらかった瞬間は?」と質問した時だ。ふっと笑って「いっぱいあるさ」と、それまでとは違う反応があった。

「瞬間というか期間かな。マイナー時代に何度かあるよ。一番は契約した後すぐ、自分がプロで野球をするには能力が足りないと感じたんだ。チームの勝利に貢献できないどころか、負けるのを手伝っているんじゃないかって。打てない、走るべき時に走れない、チームを悪くしている原因じゃないかって。メンタルの部分は本当に厄介。エラーや三振は耐えられるけど、自分の能力に疑問を感じる時が一番きつい」

 わずかだが、明らかに熱がこもっている。当然、つらい時の脱出方法を聞いたのだが、この時のコメントが一番印象深い。

「特にないよ。恐らく、野球に対する愛で乗り越えた。いつもつらい時には野球愛が姿を現す」

 オフの趣味は、家族、スポーツ観戦(特にホッケー)、ゲーム。シーズン中はホームシックになるから考えないというほど好きな地元、デトロイト。子供時代の思い出。いろいろ聞いたのだが、どれも野球ほどの食いつきがなかったことこそ、野球に対する気持ちの大きさを表しているのだと思った。

 転機や影響を与えてくれた人物なども聞いてみたが…。

「特にない。野球愛。本当に野球が好きで、自分が思っている以上の選手になれなかったり、能力が足りなかったとしてもずっとプレーし続ける。その思いがいつも転機をもたらしてくれる」

 好きこそものの上手なれ。

 この秋、初めてロスに降った雨音に聞きほれながら、DJのメモを「非常にシンプル」と書き換えた。

 ☆DJ・ラメーヒュー 1988年7月13日生まれ。32歳。米国カリフォルニア州出身。右投げ右打ちの内野手。2009年のMLBドラフト2巡目(全体79位)でカブスから指名されプロ入り。11年5月にメジャーデビューし、この年37試合に出場し打率2割5分、4打点。同年オフにロッキーズへトレード移籍。しばらくは守備要員としての出場が主だったが、14年に二塁のレギュラーを獲得し、同年のゴールドグラブ賞に輝いた。15年に初めて打率3割をマークすると、16年は打率3割4分8厘で首位打者。17年も3割を打ち、18年は15本塁打を放った。19年シーズンから2年契約でヤンキースへ。同年打率3割2分7厘、26本塁打、102打点と期待通りの活躍を見せると、20年は打率3割6分4厘で2度目の首位打者、史上初の両リーグ首位打者に。今オフにFAとなった。