楽天から米大リーグ・ヤンキース入りする田中将大投手(25)が26日、千葉・流山市の江戸川大で行われたシンポジウムに出席。理想の選手としてヤ軍のOBでもある松井秀喜氏(39)の名前を挙げ「松井さんのような選手になりたい」と話した。その言葉どおり、海の向こうでも参考にするのはゴジラ流。目指すは「誰からも愛される男」のポジションだ。

「プロ野球の使命と役割」と題したイベントで、田中は東日本大震災の被災地球団のエースとしてプレーした経験に触れ「グラウンドで最大限のパフォーマンスを見せることが一番のファンサービスだと思う」と力説。さらに、今後の野球人生については理想の選手に松井氏の名前を挙げ「どんなときでもファンに向けて話す姿勢が大事。人柄を含め、そういった部分で松井さんのような選手になりたい」と話した。

 松井氏と言えば、豪快な打撃だけでなく球界屈指のナイスガイとしても知られる。ヤ軍ではチームメートからの人望も厚かった。報道陣に対しても常に真摯に対応。好調時はもちろんのこと、試合でどれだけ打てない日々が続いても報道陣の前に姿を見せた。ヤ軍移籍1年目の2003年には、全米野球記者協会のニューヨーク支部が取材にもっとも協力的だった選手を表彰する「グッドガイ賞」にも選出されている。

 田中が目指すのは、そんな“ゴジラスタイル”だ。楽天時代は11年に沢村賞を獲得すると翌年から「どれだけ結果が出なかったとしても、取材にはしっかり対応する」と、それまで以上に報道陣と向き合うことを決意。自身の投球に納得がいかず、どれだけイライラしていても、登板した試合後は立ち止まって囲み取材に応じてきた。時にはイライラが募るあまり爆発寸前になったこともあったが、決して逃げることはしなかった。米国でもそのスタイルは崩さないという。

 サポート役を務める元楽天広報部部長の佐藤氏も、米国での取材対応についてこう話している。「松井さんがそうだったように、クラブハウスの外の廊下に毎回出てきて対応することも考えています。サポートする立場として『誰からも愛される選手を目指したい』という思いはあります」

 現時点での“チーム・マー”はヤ軍入団当時の松井氏の状況と共通点が多い。松井氏が専属広報として広岡勲氏(現巨人球団代表付アドバイザー、江戸川大准教授)とともに渡米したように、田中も気心の知れた佐藤氏と一緒に海を渡る。今後もヤ軍のナイスガイとなるべく“チーム・ゴジラ”が行ってきたことを参考にすることも多いだろう。

 7年1億5500万ドル(約160億円)という破格の大型契約を結んだだけに、田中は大きなプレッシャーのなかで戦うことになる。報道陣に毎度、対応するのは大きなストレスにもなりかねない。それでもあえて“ゴジラの歩んだ道”を選んだ。

「ニューヨークはバッシングがすごいということも聞いている。でも、それだけ注目されているということだから、いいんじゃないですか。野球人として前と違った刺激を受けて自分自身、成長していけたらいいと思います」と田中。どんなに厳しい戦いになろうとも、日本のファンへメッセージを送り続ける。