ソフトバンク五十嵐「抑え1年間やり通す!」

2014年01月13日 16時00分

単独インタビューに答えたソフトバンク・五十嵐亮太

【核心直撃】V奪回を目指すソフトバンクのキーマンと目されるのが、守護神最有力候補の五十嵐亮太投手(34)だ。メジャーリーグ在籍など経験豊富な剛腕への期待は大きい。そんな男が本紙に日本復帰1年目の「苦悩」「模索」「変化」、そして2014年シーズンへの「思い」を激白した。

 

 ――昨季はホークス1年目だったが

 

 五十嵐:ひと言で言うと、あっという間に終わってしまったという感じですかね。

 

 ――というと

 

 五十嵐:優勝してやろうと、すごい意気込みを持ってホークスに来たが、序盤に思ったような投球ができずに二軍で調整。かなり模索をしながらやっていました。その時々でいいものをチョイスできたとは思うし、今となっては必要だったなとは思うんですが、そういう時間をなくして、最初からいいものをその時、その時に出せたら良かったというのはありましたね。

 

 ――最終的には51試合に登板して3勝3敗12セーブ、防御率2・53

 

 五十嵐:途中から自分の投球スタイルがなんとなく見えてきたし、ケガなくやれたという点ではよかったんですが、結局クライマックスシリーズには出られなかった。この悔しさは、いまだに抜けない。

 

 ――二軍調整を経ての復調。きっかけは

 

 五十嵐:まず、直球ですよね。小さく動かすのではなく、キレ、ノビのある直球を考えた。腕の使い方を日本にいる時と近い形に戻したし、投げている時のバランスも米国の時とは自分の中で違う。次にウイニングショットですね。加藤さん、吉田さん(ともに当時の二軍投手コーチ)とも話してカーブの割合を増やした結果が昨年のスタイルでしたね。

 

 ――今年への手応えも

 

 五十嵐:それは同じように、とはいかない。毎年毎年いいものを見つけていかないといけないし、今年はちょっと違うスタイルになると思う。でも、昨年の初めは軸となるものがいまひとつ見つからなかった。今は軸をしっかりと持ちつつ、他の要素をどう付け加えていくかだと思う。ケガとかよっぽどのことがない限りは昨年のように二軍で調整ということはないと思っています。

 

 ――昨年は中盤から守護神を任された。その時には「ポジションへのこだわりはない」と言っていたが、今年に向けてはどう考えているか

 

 五十嵐:昨年やってみて、そこのポジションに対するこだわりが出てきた。僕は任されたところで仕事をやればいいという考え方だったんですけど、ほかにはない重圧を感じたり、刺激を受けたり、そういうことを積み重ねていくうちに自分の中で変化があったんです。

 

 ――具体的に変化が芽生えたのは。

 

 五十嵐:後半戦が始まってすぐの北九州での楽天戦ですね(7月24日。4失点で敗戦投手)。打たれてしまって、完全な勝ちを逃してしまった。その悔しさがそれまでと違ったんですよ。抑えでやっていく上で何が必要か考えさせられたし、悩んだ。この悔しいままで終わりたくない、中継ぎに戻るのは嫌という気持ちが出てきたんです。

 

 ――確かに、その直後から20試合連続無失点を記録した

 

 五十嵐:ハセ(昨季198安打を記録した長谷川勇也外野手)に打者の目線でどうだ?って聞いたりもしました。左打者に連打されていたので左打者だったらどう待つのかなと思って。やっぱり相手の対応も(抑えだと)早いんですよ。僕がどういう時にどういう球を投げてくるとか。じゃあ今度僕がどうするか。それがやりがいでもあった。抑えだと相手の目の色が違いますしね。

 

 ――今年は1シーズン、守護神でやり通したい

 

 五十嵐:そうですね。そこを目指してやっていこうと思います。

 

 ――チームは同じくメジャー帰りの岡島投手を再獲得した。他の投手も含めて守護神争いも激しくなりそうだが

 

 五十嵐:周りに左右されずに自分のペースでやりたい。彼らと勝負するわけではないですからね。競争できる環境は、刺激を生むし、自分も向上できると思う。

 

 ――いろんな球団を経験してきたがホークスの印象は

 

 五十嵐:若い選手がとても多いので、未来が明るいチームだと思いますね。そういう若い選手の中に僕も入って、気持ちを若く持てているというか。やりがいがありますよね。僕にとっていい環境ですよね。

 

 ――最後にもう一度、今シーズンへの意気込みを聞きたい

 

 五十嵐:やはりチームの日本一。数字的な目標は後からついてくるものですからね。

 

 ☆いがらし・りょうた 1979年5月28日生まれ。34歳。北海道留萌市出身。千葉・敬愛学園から97年のドラフト2位でヤクルトに入団。99年に一軍初昇格し、6勝4敗1セーブ。2000年に中継ぎのみで11勝をマークするなどセットアッパーとして活躍した。04年にストッパーとなり、6月3日の阪神戦では当時の日本プロ野球最速タイの158キロを計測して話題になった。09年オフにFA権を行使して米大リーグ・メッツに移籍。パイレーツ、ブルージェイズ、ヤンキースと渡り歩き、12年オフにソフトバンク入り。13年9月30日の西武戦では日本プロ野球初の救援で通算50勝に到達。SMAP・木村拓哉似ということで「球界のキムタク」ともいわれる。

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