ハッタリから始まった「バッターひげモジャ」誕生秘話

2020年08月04日 11時00分

立派なひげがトレードマークのブラックモン(ロイター=USA TODAY Sports)

【元局アナ青池奈津子のメジャー通信=チャーリー・ブラックモン外野手(ロッキーズ)】「ひげモジャが戻ってきた」というデンバーポスト紙(電子版)の書き出しに笑ってしまった。それだけで「チャーリー・ブラックモンが帰ってきた、良かった!」と思ったロッキーズファンはきっと多い。

 チャーリーがまだ若手だった2013年オフ、オーストラリア旅行中にレッドソックス「ひげ軍団」優勝のニュースを聞き「伸びてしまった無精ひげをそのまま伸ばしたら、自分にもひげパワーが宿るんじゃないかと思って」と翌年、別人のような顔(元来ベビーフェース)で球場入りしたら、その年スタメンに定着するどころかオールスターまで行ってしまったというウソのようなエピソードを持つひげが特徴的な彼。

 ウソといえば、彼の打者としての人生もウソのようなハッタリから始まったのだという。

 チャーリーは大学3年生まで、左ピッチャーだった。高校時代は打席に入ることもあったが、3年生になるまで柵越えを打ったこともなければ、奨学金をもらって途中編入したジョージア工科大学でも投球を見込まれて転入しているため、当然のように投手として活躍するつもりでいたが、編入早々腱炎になり、フォームは崩れ球速は落ち、2イニングしか投げられずにシーズンが終わってしまった。

 チームにも帯同させてもらえず一人壁当てをする日々に「人生で何が大事か、本気で向き合わされたし、とにかく野球がしたかった」と当時を振り返るインタビューで答えている。

 しかし、このつらい日々こそが、運命を大きく切り開くきっかけとなる。

 追い込まれた彼は、これまで夏の間に参加していたケープコッド野球リーグのチームへは入らず、自分を知らないと踏んだ地元テキサス大学野球リーグに入団。しかも「中継ぎ/DHの二刀流ですと、大ぼらを吹いたんだ」と、一緒に参加した同級生に口裏合わせしてまでハッタリをかました。「最悪、ヒットが打てなくても投げる機会はもらえるだろうし、打撃練習に参加できれば自分がまた野球選手なんだって思える気がしたから」

 実はこの時、すでに打者としての能力が見え隠れしていたこと、野球をやりたい気持ちの強さから誰よりも努力をしていたこと、そして、このチームを監督していたのが元レンジャーズのラスティー・グリアー氏だったこと、必死さからついたウソは、この3つの運命の歯車を手繰り寄せた。

 チャーリーの自主練中の走りを偶然目撃したグリアー氏は、その俊足と集中力に直感で「ブラックモンは外野手だ」と思い、練習メニューを加えただけでなくジョージア工科大学へ直接電話し、ヘッドコーチのダニー・ハール氏に「外野手で起用すべき」と訴えた。

「お前、これからは打者なんだって?」

 夏が終わって大学へ戻ったチャーリーにそう投げかけたハール氏が、翌年にはロッキーズのGMスペシャル・アシスタントであるダニー・モンゴメリー氏に見に来るよう強く説得するほど、チャーリーは外野手として能力を見せ続けた。

 そしてまた、モンゴメリー氏が打者として1~2年ほどにしかならないチャーリーを2位指名するようチームのスカウトディレクターに指示を出すほどに、彼の野球は成長を遂げていた。

 テキサス遠征の際に、チャーリーは必ずグリアー氏に連絡を入れるそうだ。

「今は会えなくとも、思い出していること、感謝していることを知ってほしいから」

 グリアー氏がチャーリーの入った大学野球リーグでコーチをしたのはたった1年。今は存在もしないチームで2人が出会えたことに、野球の一ファンとして感謝したい。

チャーリー・ブラックモン 1986年7月1日生まれ。34歳。米国テキサス州出身。左投げ左打ちの外野手。2008年のMLBドラフト2巡目(全体72位)でロッキーズから指名されプロ入り。11年6月にメジャーデビューすると、俊足巧打の外野手として27試合に出場し打率2割5分5厘、1本塁打、8打点、5盗塁を記録した。12年42試合、13年82試合と経験を積み、14年からメジャーでレギュラーを獲得。15年は43盗塁、16年は29本塁打、17年は打率3割3分1厘で首位打者に輝くと、この年は37本塁打、101打点とそれぞれキャリアハイをマークした。ひげがトレードマークの人気者。