【メジャー回顧録(7)】与えられる役割を黙々と果たす――。この信念を胸にメジャーの荒波に立ち向かい続けたのが、現在オリックス一軍野手総合兼打撃コーチを務める田口壮氏(51)である。

 2002年にオリックスからカージナルスにFA移籍。以後、レギュラーに匹敵する実力を持ちながらも「監督、チームが必要とするところにフィットするのが自分の役目」と黒子精神で周囲を支えた。突然のマイナー落ちや、主力選手の契約の兼ね合いで控えに回された屈辱も一度や二度ではない。そのたびに何度も這い上がる姿が真骨頂だった。

 そんないぶし銀が大仕事を成し遂げた試合がある。06年10月に行われたメッツとのリーグ優勝決定シリーズ第2戦だ。

 6―6の同点で迎えた9回表。敵地を埋め尽くす5万人を超える大観衆の大半は地元メッツファンだった。完全アウェーの状態で打席に立った田口氏の前に立ちはだかったのは当時メッツの守護神としてシーズン40セーブを挙げた左腕・ワグナーだった。160キロ近い速球と鋭いスライダーを操る剛腕を前に劣勢は否めなかったが、数々の苦難を乗り越えてきた苦労人。逆境には無類の強さを誇る。

 簡単にツーストライクに追い込まれながらも必死で剛球に食らいついた。そして粘りに粘ったフルカウントからの9球目。高め速球を捉えた打球は漆黒の夜空を切り裂きながら左翼席に吸い込まれた。

 伏兵の決勝弾に敵地球場は一瞬にして静寂に包まれた。ぼうぜん自失で天を仰ぐ大観衆をよそにさっそうとダイヤモンドを駆け抜ける日本人野手。あまりにも対照的な光景は異国の地で脇役人生を歩んだ男だからこそつくり出せた離れ業だったと言える。

 試合後には球場の会見場に呼ばれ約15分間、報道陣との質疑応答に臨んだ。カージナルス入団直後から「自分の言葉でできる限り話したい」と通訳をつけなかった田口氏。この日も意志を貫き米記者の矢継ぎ早の質問に自らの言葉で応じた。降壇後に発した第一声は「こんな注目されることなかったから。試合より緊張したわ」。額の汗を拭いながら語るすがすがしい表情は今も忘れない。

 この試合の勝利で息を吹き返したチームは4勝3敗でシリーズを突破。その後、タイガースとのワールドシリーズも制し悲願の世界一に輝いた。

 スター選手の活躍以上に意外性のある人物が巻き起こす波乱には想像を超える力が宿る。同時に、地味で目立たない存在でも努力し続けた人間には報われる時が来る。田口氏が歩んだ道のりにはそんな教訓が凝縮されていた。