ジーター氏 米野球殿堂入り「満票ならず」の怪

2020年01月22日 19時00分

野球殿堂入りしたジーター氏だが、満票はならなかった(ロイター=USA TODAY Sports)

 米国野球殿堂は21日(日本時間22日)に今年の殿堂入りメンバーを発表した。ヤンキース一筋の遊撃手で通算3465安打を放ったデレク・ジーター氏(45)が資格1年目で選出されたが満票に1票足りなかった。通算2160安打のラリー・ウォーカー氏(53)は資格最終年で念願がかなった。また、資格8年目の通算216勝のカート・シリング氏(53)、現役時代の薬物使用疑惑が取り沙汰されている歴代最多の通算762本塁打のバリー・ボンズ氏(55)、通算354勝のロジャー・クレメンス氏(57)は落選した。

 ヤンキースを5度のワールドシリーズ(WS)制覇に導き、地元ニューヨークのファンから「ザ・キャプテン」と呼ばれたジーター氏が、資格1年目で選出されたが、記者397人中1人だけ票を入れなかった。昨年の元同僚マリアノ・リベラ氏に次いで史上2人目の快挙は逃した。結果が発表された直後から米メディアは騒然。票を入れなかった1人は誰か、その記者は誰に投票したのか、投票行動をどう説明するか注目が集まっている。

 個人の打撃タイトルとは無縁だったが歴代6位の3465安打、オールスター戦14度出場、史上初のオールスター戦とWSのMVPを同一年度に獲得、ポストシーズン歴代最多200安打など輝かしい実績を残したジーター氏が資格1年目で選出されることを疑う声はなく、注目は満票かどうかだった。

 ジーター氏は1992年のドラフトでヤンキースの1巡目(全体6位)で指名され入団。95年にメジャーデビューを果たし、96年の開幕戦に遊撃手でスタメン起用されるとそのままレギュラーを奪い、2014年の引退まで譲らなかった。

 日本のファンがジーター氏について印象に残っていることの一つが松井秀喜氏(45)との絆だ。ともに74年6月生まれで松井氏が12日でジーター氏は26日のため、ジーター氏は松井氏を日本語で「トシヨリ」と呼んでいた。また、10年4月13日にヤンキー・スタジアムで行われたチャンピオンリング贈呈式で、対戦相手のエンゼルスに移籍していた松井氏には偽物を渡されたが、これはジーター氏のアイデア。試合開始前の整列の際に本物を届けた。

 13年7月28日にヤンキー・スタジアムで行われた松井氏の引退セレモニーではチームを代表して記念ユニホームを手渡し、試合では初回に祝福の先制弾。試合後、「彼は常に大好きなチームメートの一人。これからもね」と言葉を贈り、松井氏も「彼は最も尊敬できる選手だった。僕からも彼に同じ言葉を戻したい」と応じた。

 ポストシーズンで歴代最多の安打数をマークしているジーター氏の最も劇的な一打は01年10月31日のダイヤモンドバックスとのWS第4戦で放ったサヨナラ弾だ。3―3の延長10回二死無走者の場面でジーターは日付が変わった直後に打席に入ると韓国人右腕・金炳賢の9球目を鮮やかに右翼席に叩き込んだのだ。史上初の11月の劇弾から“ミスター・ノベンバー”の称号が付けられた。

 ジーター氏の守備で今も語られているのが01年のアスレチックスとの地区シリーズ第3戦で見せた「The Flip」だ。1点リードの7回二死一塁でアスレチックスのロングが右翼線を破る長打。右翼のスペンサーの返球は中継に入った一塁手の頭を越える悪送球となったが、本塁数メートル前の一塁側ファウルライン付近を転がるボールに、“いるはずがない”ジーター氏が飛び込んで右手で捕手にバックトス。走者を間一髪でタッチアウトにした。

“持っている男”ジーター氏は現役の最後も派手だった。14年9月25日のヤンキー・スタジアムで最後の試合となったオリオールズ戦、5―5の9回一死二塁で右前にサヨナラ打。球場は大歓声に包まれた。現役最後の打席は同9月28日の敵地でのレッドソックス戦。3回に三塁への適時内野安打を放ち、ベンチに戻るとフェンウェイ・パークに「デレク・ジーター」コールが響き渡った。長年、ブーイングを浴びせてきた敵地のファンも最後は称賛を送る特別な存在だったのだ。

 全米のファンに愛されたジーター氏。現在はマーリンズのCEO(経営最高責任者)としてチームの再建に当たっている。ヤンキー・スタジアムで行われる殿堂入り記念セレモニーは祝福の嵐に包まれるだろう。

※米国野球殿堂入りメンバーは全米野球協会(BBWAA)の在籍10年以上の記者による投票で75%以上の得票で決まり、今回は全397票中、298票が必要だった。