ブルワーズ外野手アビサイル・ガルシア 「2番目のママ」のおかげで米国文化にアジャスト

2019年12月28日 11時00分

今季は主力としてレイズをけん引したガルシア(ロイター=USA TODAY Sports)

【元局アナ青池奈津子のメジャーオフ通信】「僕待ちかい?」。チームメートと談笑しながら着替えていたアビサイル・ガルシアが気さくに話しかけてくれた。赤のパンツ姿で。とりあえず服を着てほしい。「OK、OK! ちょっと待ってね」

 一気にラテンの風が吹く、と言ったらイメージが湧くだろうか? 流れていなくともラテン音楽をBGMに背負っているような明るさと楽しさを感じさせてくれるベネズエラン。同郷のミゲル・カブレラと似ていることから「ミニ・ミギー」とも呼ばれるアビーは「暇があったら家族!」と話す全力パパ&夫で、奥さんと愛娘愛息の写真ばかり載せているインスタグラムを見るとその献身ぶりが想像できる。

「(野球をするために米国に来て)いろいろなことが変わったね。文化や言語。米国の文化に自分をアジャストするように努めてきた。ベネズエラとは全然違うけど、僕にとってはいいこと。もう10年になるね。いい人生だと思う」「僕の英語はまずまず。まだうまくなれる」と流ちょうな英語で語る裏に、一人の米国人女性の存在があるのだという。「僕の2番目のママ」

 シャーロン・ヘイナーさん(推定年齢70代)。アビーが最初に所属したミシガン州西部のタイガース傘下1Aのホワイトキャップスで、部屋を提供してくれたホストマザーだ。同じ時期にエルナン・ペレス(ブルワーズからFA)もシャーロンさんの家でお世話になっている。

「プレーやハングリーという英語さえ分からなかった僕らに、英語の教材を買ってくれて、これがプレート、フォーク、スプーンだよって初歩から教えてくれたんだ。2~3か月してようやくちょこーっと英語が話せるようになったのもママのおかげ」

 シャーロンさんの話は続く。

「ママは一人暮らしで、フルタイムで僕らの面倒を見てくれたけど、僕らが謝礼にお金を渡しても全部僕らの食事や僕らの好きなもののために使ってしまうような人。彼女のパスタとビーフ料理が大好きだった。スペイン語は全く話さないけど、僕の郷土料理のアレパス(とうもろこし粉で作られる南米のパンの一種)を教えたら、すごくおいしいアレパスを作ってくれるようになって『アレパスができたよ!』『ママ、ありがとう』というやりとりがよくあったなあ。僕の地元では朝も夜もアレパスを食べるんだ。あと、一緒に釣りに行って釣った魚をフライにしてくれたのもおいしかったなあ」

 10年近く前のことなのに描写が鮮明で、家族を語る時とは別の少年のような笑顔をのぞかせるアビーは「フフフ、すごくスペシャルな人だからね」と自慢げでさえあった。

「ママとは2~3週間に一度は必ず電話で話すし、デトロイト遠征に行ったら必ずママと会う。去年はマイアミの家で開催したパーティーに招待して、みんなでダンスしたりしたんだよ。僕のキャリアには欠かせない、とても大事な人」

 ちなみに「彼女はまだ独身?」と聞くと「それがさー、どうやら恋人がいるみたいなんだよね」と渋い顔になったので大笑いした。

 インタビュー後、シャーロンさんに関する記事を探した。5年前に書かれたものに、2006年に夫を心臓まひで亡くし悲しみに暮れていたシャーロンさんが、一時期辞めていた選手らのホストを友人の勧めで再開し、ラテン系の選手を受け入れた時に、毎朝歌ったり踊りながら階段を下りてくる彼らのぬくもりに救われた、とあった。米国人選手は必ず名前で呼ぶのに対し、ラテン系の選手の多くは「ママ」と呼ぶのだそうだ。

「誰かの面倒を見たかった。彼らが私を必要なのと同じくらい、私も彼らを必要としていたの。新しい国、新しいホーム、新しい言語に新しいチームメートたちとレベルの高い野球をやっている。安心できるところを必要としている彼らに何かをしてあげることで、私自身が安心できたの」(デトロイト・フリー・プレス電子版)

 20人近くの選手にホームを提供してきたシャーロンさん(うち、大リーグにたどり着いたのは十数人!)。今頃、何番目かの息子ファミリーの元でホリデーを過ごしているのだろうか。

 良いお年を!

 ☆アビサイル・ガルシア 1991年6月12日生まれ。28歳。ベネズエラ出身。193センチ、109キロ。右投げ右打ち。2007年にタイガースと契約しプロ入り。12年8月31日のホワイトソックス戦でメジャーデビュー。13年シーズン途中にホワイトソックス移籍。15年から右翼のレギュラーに定着し、17年には球宴に初選出される。今季はレイズで125試合に出場し、打率2割8分2厘、20本塁打、72打点。オフにFAとなり、ブルワーズと2年契約を結んだ。