【元局アナ青池奈津子のメジャー通信=ダニエル・ハドソン投手(ナショナルズ)】「いつもと同じ試合」――。プレーオフ中の試合をそう捉えるようにしているのだと、ナ地区シリーズ中のナショナルズのクラブハウスで話してくれたダニエル・ハドソン。ワイルドカードを逆転勝利して明らかにチームの雰囲気が高ぶっている中、やたら落ち着いているのが印象的で「昨夜(ワイルドカード戦)はすごく楽しかった。スタジアムで感じたエネルギーは人生初めての感覚で、とにかく興奮したよ」と、真面目な表情が話している内容と少しギャップがあるような人。

 その彼が、第3子誕生の瞬間に立ち会うためにプレーオフで初めて産休を取った選手になった時「おおっ!」と思わず口にしたのは、驚きよりもプライオリティーのはっきりしている判断をかっこいいと思ったからだ。「いつもと同じ」と答えていた彼だから、当然の選択なのだろうなと納得した。

 しかし、世間では割と大騒ぎになった。育メン傾向の世の中になってきたとはいえ、多くの選手が人生をかけて戦うプレーオフを欠場することが理解できない人もいる。それをツイッターなどであらわにした人たちには非難ごうごうで大変そうだったが、彼が一躍時の人になったおかげで分かったことがたくさんある。

「人生って不思議だよね。昨年はドジャースにいた自分が『機会』を求めてあがいて、それがこうしてここにいるんだもん」

 そう、昨年はドジャースにいたが、けがでいつの間にか見なくなった。

「野球には、いつもいいところで心を折られてきた」

 ホワイトソックスでキャリアをスタートした彼は、トレードでダイヤモンドバックスに行き、そこでトミー・ジョン手術を2度も経験したため先発から中継ぎへと転向を余儀なくされ、次のパイレーツには1シーズン71試合にも登板したのに最後はやはりトレードで、行った先のレイズにはシーズン開幕直前に解雇。昨年ドジャースがワールドシリーズに行けたのはダニエルの活躍もあったからだが、当初はマイナー契約でのスタートだった。今季だってエンゼルスのスプリングトレーニングにいたが、開幕直前に解雇。

「このビジネスは勝手だ」と選手らが話すゆえんのような経歴。

 それでもなんとかつないだブルージェイズで活躍したものだから、プレーオフ進出をかけて戦っていたナショナルズに所望されて、けがした守護神に代わり試合の最後を投げ始めた。ちなみに今は、痛みで10分と座っていられないほどの靱帯のけがを抱えた状態で、症状を悪化させる危険があるからと痛み止めの薬を打てずに日々マウンドに立っているらしい。

 フレンドリーなのにどこか壁を感じたのは、彼がこの世界で生き抜く中で必然的に築いてきた野球との距離感だったのではないか。必要とされたかと思ったらけがをしたり解雇されたりする中で、どんな彼でも手放しで受け入れてくれる家族がいるからこそ、彼は野球を続けられる。たとえ3日で8時間しか寝ていなくても、戻った直後の第2戦でセーブを挙げられるほどの底力を出せるのだ。

 野球をしたことのない私が、一つだけ自信を持っているプレーオフのセオリーがある。

「最後は気持ちで勝つ」ということ。それは、勝利への気持ちの強さというよりも、自分と仲間を信じる強さ、集中力の強さ、何があってもブレない気持ちの強さ。ワールドシリーズにたどり着いた時点で、勝利の実力はあるのだから。

「女性は一人で出産できると言うけど、40人もいて野球の試合に勝てないと言うのか」というツイッターの書き込みがあった。

「勝てるさ」

 そう言わんばかりに、ナ優勝決定シリーズを4連勝したナショナルズなら、王者と呼ばれるアストロズときっといい勝負をする。

 ☆ダニエル・ハドソン 1987年3月9日生まれ。32歳。米国・バージニア州出身。右投げ右打ちの投手。2008年のMLBドラフト5巡目(全体150位)でホワイトソックスから指名されプロ入り。09年9月にメジャーデビュー。10年シーズン中にダイヤモンドバックスへトレード移籍。11年は16勝を挙げるなどチームの地区優勝に貢献した。12年と13年にトミー・ジョン手術。14年にメジャー復帰を果たし、15年からはリリーフとして活躍。16年FAでパイレーツへ。18年2月にレイズへトレードされるも開幕前に自由契約となり、ドジャースへ。19年はエンゼルスのスプリングトレーニングに招待選手として参加するも自由契約となり、その後ブルージェイズと契約。19年シーズン中にナショナルズへトレード移籍した。