【元局アナ青池奈津子のメジャー通信=ホセ・マルティネス外野手(カージナルス)】「Cafecito(カフェシート、1杯の小さなコーヒー)」ことカージナルスのホセ・マルティネスは人の話には「うん、うん」と声に出してうなずくような人で口癖のように「ノー・プロブレム」を挟みながら優しくインタビューに答えてくれた。

 父カルロス・マルティネスさんはベネズエラ産のコーヒーが大好きな人で「カフェ」の愛称で大リーグでも7シーズンにわたり活躍した。1993年にホセ・カンセコが外野フライを頭で受け、跳ねたボールがスタンドインするヘディング本塁打…。その珍プレーで打者だったのがカルロスさんだ。2006年1月、胃がんにより40歳の若さで他界した。
「父の容体はアップダウンが激しくてね。ハッピーに笑っていることもあれば、話せなくなるくらい容体が悪くなったり。抗がん剤治療、いろんな薬、いろんな医者に診てもらってね。父も何年も頑張って闘ったんだけど…父とは一緒に生活して最期をみとったよ。父がどんな最期を過ごしたか全部覚えている」

 当時ホセは17歳。生まれ育ったベネズエラのラグアイラで野球選手になる夢を追いかけていた。「父が野球選手だったから、僕も野球選手になりたかった」

 いつ聞いても驚くのだが、カリブ海や中南米の選手らにとって16歳までにプロチームとの契約がないと、かなり手遅れだそうだ。父が大リーガーなら少しぐらい融通が利くのかと思いきや「僕には全くなかったよ。『君は100%選手になれないだろう』って言われたこともある。特にベネズエラのスカウトは野球経験のない人も多くて、僕だけじゃなく、みんな似たような経験をしている。あえてつらく当たってタフにしようとかじゃなく、意地悪だったり。僕は今でも2人のスカウトの顔を思い出せる。『絶対に無理だね』って言われた時は、一生懸命やってうまくなるんだってモチベーションになった」

 指標になった父からは「周りをよく見ること、良い選手をじっくり観察して質問すること」とアドバイスを受けた。「実際、父から野球に対するアドバイスらしいアドバイスはなかったんだ。父自身が誰にも教わらずに観察して野球を覚えたから。もともとはバレーボール選手で、ある時、友人に『お前に野球はできない』って言われてカチンときて『俺は大リーグに行くんだ!』って。そんなふうにプロになった人だった」

 父を亡くした翌月、ホワイトソックスと契約を結び、ホセの大リーグへの長い旅路が始まった。「最初のステップが一番大変だと思ったけど、それ以上にいいプレーを継続することが大変で。家族のこと、長いマイナーリーグ生活、独立リーグでの経験などを経て、精神的にすごく強くなったから、今ここにいさせてもらえるんだと思う」

 父が大リーグデビューしたホワイトソックスではなかったが、10年後、ホセは28歳でカージナルスからデビューする。野球に疲れたことも、諦めようと思ったことも一度もないそうだ。

「いろんなことを経験すると、人生賢く生きていかなきゃって思うんだよね。自分のことは自分に責任がある。楽しまなきゃ意味がない。だから、毎日勝つという気持ちで球場に来て、チームに貢献する。それが賢い」

 いよいよ今年もポストシーズンが始まる。ロサンゼルスかいわいではドジャースファンらが「今年こそ絶対に取ってくれないと困る!」と意気込んでいる。私の予想は…ここではナイショ。

 ☆ホセ・マルティネス 1988年7月25日生まれ。ベネズエラ出身。右投げ右打ち。外野手。2006年にホワイトソックスと契約。ルーキーリーグなどで経験を積み、独立リーグやブレーブス、ロイヤルズのマイナーを経て、16年に金銭トレードで移籍したカージナルスで9月にメジャーデビュー。初安打と初打点を記録した。17年は開幕からメジャーに定着。18年は152試合に出場し、打率3割5分、17本塁打、83打点。今季も主力打者としてチームの地区V争いに貢献。