ルー・ゲーリッグら全米軍を本気にさせた1931年、日米野球の早大

2018年12月29日 16時30分

今年の日米野球開幕を控え握手を交わす稲葉監督(右)とマッティングリー監督

【ネット裏 越智正典】この秋、野球殿堂博物館で「日米野球110年」が開かれた。

 好評だったのは、世紀のホームラン王ベーブ・ルース、黒人大リーガー第1号選手ジャッキー・ロビンソン、ヤンキースのミッキー・マントル(左右両打ち、本塁打王4回、通算536本塁打、WS18本塁打)のバットの特別展示で、見学の少年たちが目をまるくしていた。

 秋は日米野球の季節である。おかげさまで、私にも思い出がある。昔、放送局に入局出来たときに改めて先輩に教わりました。

 ベーブ・ルースは映画出演の契約があって来日出来なかったそうですが、ルー・ゲーリッグら全米軍が読売新聞社の招きで来日、1931年11月7日、立教大が対戦した。0対7。

 第2戦、早大がフランク・オドールの世話で来日した全米軍に立ち向かった。「JOAK」(NHK)がラジオ中継。実況アナウンサーは、29年春の早慶戦の死闘を「神宮球場、ねぐらに急ぐカラスが三羽」と伝えた、松内則三アナウンサー。だれもが勝てないだろうと思っていた。

 ところが早大が左腕ラリー・フレンチ(この年15勝13敗、通算197勝)を打ち込み、6回を終わって1対1。鉄腕伊達正男(市岡中)の豪球が唸る。7回、伊達が二塁打、三原脩(高松中)が三遊間安打、杉田屋守(柳井中)四球。クリスチャンであった杉田屋は「練習時のノックの音は教会の鐘の音」と自分にいい聞かせていた。

 松内が「満場騒然」と叫ぶ。夫馬勇(愛知一中)が二塁打。早大5対1。全米軍はルー・ゲーリッグをマウンドに送った。ご愛嬌。チェンジになってベンチに戻ると、名遊撃手“ラビット”モランビルが叫んだ。

「われわれは、日本の大学チームに負けるために、わざわざ太平洋を渡って来たのではない!」

 その7回裏、全米軍は猛攻。あっという間に7点を叩き出した。全米軍8対5。早大5対8。8回、全米軍はこの年、アメリカン・リーグで31勝4敗、通算300勝141敗、生涯成績、防御率第1位、4年連続を含めて9回、三振奪取王7回のレフティ・グローブをマウンドに送った。必死の救援である。左腕から快速球とドロップを投げ込む。松内が叫んだ。

「グローブ投手、投げました。あっ! 球は見えません」。宮脇環(鳥取一中)三振。伊達三振。ファンは沸きに沸いた。のちに三原に教わりに行った。

「シュルシュルとボールの音が聞こえたと思うとストライク。本当に球は見えませんでしたよ」

 グローブは連続6人を三振に。21球。あっという間であった。この熱戦からルース来日の熱望が高まり、34年、読売新聞社の招きで第2回日米野球が実現し、日本に職業野球が誕生することになるのである。

 秋、私は西宮市松籟荘に伊達を訪ねた。伊達はまだバットを磨いていた。バットはピカピカに光っていた…。=敬称略=

(スポーツジャーナリスト)