【元局アナ 青池奈津子「メジャー オフ通信」=デービッド・ドール外野手(ロッキーズ)】ロッキーズのデービッド・ドールには脾臓がない。正確に言うと“もう”ない。

 2015年5月、ダブルAの試合中に飛んできたフライに駆け出した選手は3人。遊撃のトレバー・ストーリー、二塁手のユアン・シリアコ、そして中堅のデービッド。「俺が捕る!」という2者の叫びに、ストーリーがなんとかホップしながら急ブレーキ。しかし勢いがついてしまったシリアコは、スライドしながら手を伸ばしボールをキャッチしようとするデービッドにヒザから体当たり。胸の辺りに食らったデービッドは回転しながらその場に倒れ込んでしまう。

 こういう瞬間を、野球界では「バミューダトライアングル(フロリダ半島先端、バミューダ諸島、プエルトリコを結ぶ三角形の海域で、船や飛行機がこつぜんと姿を消すことでその伝説が世界的に知られている『魔の三角海域』)」と呼ぶらしい。「鈍い音がした」と当時のインタビューでストーリーが答えていた。「鼻から血が出ていて、青ざめ苦しそうにあえぐ姿は事態の深刻さを物語っていたよ」

 5段階中でグレード4の裂傷。病院で、少しでも救急車が遅れていたら、出血多量で死に至っていたかもしれないとドクターに言われたそうだ。

 でも、この時、まだ脾臓はあった。デービッドに与えられた選択肢は、数か月安静に過ごし脾臓が回復するのを待つか、脾臓を摘出するか。デービッドは衝突から3日後、脾臓摘出手術を受けた。

 ちなみに脾臓とは腹部の左上、肋骨のすぐ下にある握り拳ほどの大きさで、体内のいらなくなった古い赤血液を破壊したり、リンパ球が多く集中する臓器で侵入してきた異物や菌、例えば肺炎、髄膜炎、インフルエンザなどの菌を防御する役割などを担っている。

 摘出により、デービッドは生涯ずっと1年ごとにワクチンを受け続けなければならなくなったが、シーズンを棒に振るよりも、少しでも早くグラウンドに戻る選択をしたのだ。

 そんな彼だからだろう。「僕は野球をやめたいと思ったことはないけど、ハムストリング、脾臓、ヒジの疲労骨折、足の骨折と結構クレージーなけがが多くて、自分はちゃんとプレーできるくらい健康な体を取り戻すことができるのかって悩んだことは何度もある。一番つらかったのは、あばらの疲労骨折。昨年スプリングトレーニング中に突然、打撃練習のためにスイングしたら激痛が走り、何もできなくなったんだ。もう大丈夫かと思ってカムバックしようとするたびに繰り返されて、休まなきゃならなくて」

 結局、17年シーズンは一度もプレーすることなく終わってしまった。

「回復を焦ってしまったことは後悔したけど、チームが調子良くてプレーオフ進出している時に貢献できないのが悔しくて、少しくらいなら痛くてもできるんじゃないかと思ったんだ」

 脾臓を失うよりも、休むことの方がつらかったと話すデービッド。ルーキーシーズンとしてようやく春から大リーグでスタートを切れた今シーズンも足の甲にボールが当たり、一時戦線離脱していたが「大リーグの生活は想像していたより良かった。プレーする時の感覚、空気感、緊迫感、フライトにホテル、すべてが最高」と、どこか達観した表情で語ってくれた。

 そんな彼が、つらい時に最大の支えだったというパートナー、ジャクリンさんと11月9日にサンディエゴのラ・ホヤで式を挙げた。今ごろ、タイでハネムーンを楽しんでいることだろう。

 来シーズンはきっともっと良いシーズンになる。そんな予感がする。

 ☆デービッド・ドール 1994年4月1日生まれ。アラバマ州バーミングハム出身。24歳。188センチ、89キロ。右投げ左打ち。外野手。2012年、ドラフト1巡目で指名されたロッキーズに入団。16年7月26日のオリオールズ戦でメジャーデビューし初安打。8月11日にデビューから17試合連続安打のメジャータイ記録を打ち立てる。同年は63試合に出場し、打率3割1分5厘、7本塁打、24打点。17年は肋骨骨折の影響でメジャー出場はなかったが、18年は77試合に出場し、打率2割7分3厘、16本塁打、48打点を記録した。