【越智正典「ネット裏」】U―18全日本は8月31日、台中でアジア選手権第一次予選の台湾戦を迎える。私は出発前日の大学日本代表との壮行試合をテレビで見ていた。解説の横浜高前監督渡辺元智に改めて学んだ。渡辺の話をするときに「ゲンさん」と呼んでいる高校野球の監督が少なくないが、拓大監督内田俊雄は亜大監督のときから、必ず「渡辺先生」と呼んで話している。内田は毎朝5時に起きて一人黙々とグラウンドの草とりをしている男だから渡辺の苦労がわかるのである。

 3回表、横浜高の藤平尚真が2人目の投手としてマウンドに立った。実況アナが藤平について訊いた。渡辺の語調にはしみじみと愛情がこめられていた。

「一抹の不安があります。多勢のお客さんに見守られて大学の選手と試合が出来、(全日本高校の)仲間に恵まれたのですから何かひとつ身につけて貰いたいです」

 立派な教育論である。私はひょいと、昔ミルウォーキーのカウンティ・スタジアムのロッカールームで見た、呼びかけの掲示を思い出した。

「ここに来たら何かひとつ掴んで帰ろう」

 渡辺の教え子の一人、横浜商大高監督、八木沢辰巳は会うと渡辺の話をする。「先生は練習が終わってから、東京五反田へトレーニングと整体に行くときはぼくたちと一緒に、京浜急行、JR山手線と、電車に乗って付き添いに来てくれました。先生は終わるまでそとで待っていてくれました…」。横浜高の勝利の歴史は人に始まっている。

 8回表、甲子園大会優勝投手、作新学院の今井達也が登板した。渡辺は今井を活写した。

「内角を攻めろと、よく言われますが、ピッチャーの生命線は外角低目のストレートです」

 いつまでも球界の箴言にしたい。ヤンキースの至宝、あのジョー・ディマジオも来日したとき、巨人二軍の野球教室で同様に述べている。

 試合はU―18が0―5で8回裏に入った。渡辺は力をこめて「なんとしてもまず1点を取って貰いたいです」。渡辺の勝負の采配を見る想いである。渡辺はこの夏、98回大会のBS朝日の解説を務めていたが、なんとしても…が、終盤のオハコであった。そのオハコが出た。

 この日のもう一人のゲスト解説、谷沢健一はどうかしていた。「(U―18は負けたので)今夜のミーティングは長いよ」と、結んでいた。わかっていない。選手は早朝はやく羽田を発つ。宿舎に戻ると、支度に忙しい。だいいち、監督小枝守は説教監督ではない。4月末に、8泊9日の遠征になる、大会日程を見たときから、台中の宿の枕が選手に合うだろうか、と案じていた。

 試合後の大学日本代表監督横井人輝(東海大)のインタビュー談は心あたたかく、救われた。

「どれだけ力になれたかわかりませんが、兄貴として力になりたかったです」=敬称略=(スポーツジャーナリスト)