「甲子園史上最高の二塁手」が福祉に進むきっかけをくれた親子の“その後”

2019年08月15日 19時38分

2018年1月23日付紙面

【現場ノート】甲子園の熱い戦いが前半戦を終えるころ、台風10号が襲来。球児にとってはつかの間の休息、記者にとっても長い出張生活のひと区切りとなった。そんな大会期間中、懐かしい知らせが耳に届いた。11日放送のTBS系ドキュメンタリーバラエティー「消えた天才」で、以前取材した“甲子園史上最高の二塁手”こと、常葉菊川・町田友潤氏の近況が伝わってきたのだ。

 町田氏に初めてコンタクトを取ったのは2016年の9月。私が担当する連載「野球探偵の備忘録」への取材依頼で、書面で取材したい旨を伝えると、ほどなくして折り返しのメールがあった。

「自分が現役を終えて3年余りがたちました。引退後5年は今までできなかったことを経験したいと思っております。これまでも取材依頼はありましたが、誠に勝手ながらお断りさせていただいております。2年後には必ず野球界に恩返ししたいと考えておりますので、そのときに必要としていただけるのであればご協力させてください」

 文面から伝わる誠実な人柄に、それならばと2年が過ぎたころ、あらためて取材の連絡を取った。当時、町田氏は福祉の事業を立ち上げたばかり。多忙な中、写真撮影なし、電話取材のみを条件に返答があった。「引退後、取材を受けるのは初めてのことです」というやや緊張した電話口の声と、これまでの所属チーム各所に配慮した話しぶりが印象に残っている。

 記事では野球を離れた経緯のほか、福祉の仕事を始めるきっかけとなった、ある親子のエピソードを語ってくれた。センバツ優勝後、障害を持つ子に街で写真撮影を頼まれ、その子のお母さんから「私たちにも本当に励みになりました」。そのときの言葉がずっと心に残っているというもの。記事が掲載されると、会社に一通の絵ハガキが届いた。差出人は記事中に記した親子の母だった。

「記事を拝読し、ご連絡させていただきました。町田さんが私たち親子のことを覚えていてくれて感激しております。息子は今では画家となり、静岡で個展を開いております…」

 まだ駆け出しの記者だった私にとっても、自分の記事が人と人とをつなぐという経験は初めてのこと。心の整理がつき、今では顔出しでテレビに映るまでになった町田氏を見て、今度は取材抜きに、あのときの後日談を話してみたくなった。

 台風一過、夏本番の戦いが始まる。球児同様、私も初心に帰り、彼らが織り成すひと夏のドラマに備えることとしよう。

(アマ野球担当・佐藤佑輔)

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