高校最速163キロを誇る「令和の怪物」こと、佐々木朗希投手(大船渡=3年)が、17日開幕の春季岩手県大会に臨む。1回戦は18日の釜石戦で、再度のフィーバーは必至となりそうだが、そんな怪物が163キロを叩き出した4月のU―18代表合宿で、高野連から動作解析を依頼された筑波大・川村卓准教授(49)が、本紙の取材に激白した。動作力学の観点から浮かび上がった驚きの数値と、教授が鳴らした警鐘とは――。

 筑波大で野球の動作力学を専門に研究する川村准教授は高野連からの依頼を受け、今春行われたU-18代表合宿で選手の球速や回転数、回転軸といったデータを測定。なかでも佐々木の投球データからは驚くべき数値が浮かび上がった。

「具体的な数値は言えませんが、すでにNPBのトップレベルと同等か、それ以上。球速は報道で出た通りで、あわせて回転数も突出しています。それでいて回転軸は人並みで、まだまだ改善点、伸びしろがある。私はまだポテンシャルの半分くらいと見ています」

 NPB最速は大谷翔平(エンゼルス)の165キロ、回転数は藤川球児(阪神)が群を抜いて高いといわれるが、佐々木は球速、回転数ともにすでにその域に達しているという。では、まだ高校生の佐々木が、それだけの球を投げられるのはなぜなのか。

「身長が高いのは大前提として、まず足がよく上がりますよね。このときに体のブレが一切ない。普通は足を上げたときに上体が後ろにそれるものなんですが、それがなく体重がすべて軸足に乗って『I』の字になっている。高身長だと重心が高い分、ブレずにこれができる選手は少ないんです。体幹の強さはおそらくまだそれほどない。股関節の柔らかさと天性のバランス感覚があるからです。バランス感覚は大谷以上にあると思います」

 まだ細身でありながら長い体格を自在に操る、“超大谷”のバランス感覚。ここに佐々木のセンスが詰まっているという。他にも大谷を超えるところもある。

「体重移動です。大谷は足を上げてから、いったん重心を落として、前方へ力を伝えていく。上げた足の爪先が『L』字を描くような移動。佐々木君は上げた足の爪先が『逆ノ』の字を描くようなスムーズな移動ができている。フィニッシュでは踏み込んだ足を軸に『T』字形になっていて、最後まで体重が乗っているのがわかります」

 一方で課題としてはこんな点も。「腕が出る前に腰から先に前に向かっていって、体の後方がもっと『逆C』の字になるほうが力が伝わります。ただ、意識的にセーブしている可能性もありますが…」。セーブして163キロなら、いったい全力なら何キロ出るのか。専門家ですらその見立てに確信が持てないほど、優れたセンスを持つのも怪物たるゆえんだ。

 すでにNPBトップクラスの球を投げる佐々木だが、懸念もある。あれだけの球を投げながらあくまで「大器晩成型」という点だ。

「彼はまだ身長も伸びており、成長途中だということ。骨ができれば問題ないですが、成長途中での過度なトレーニングは靱帯に負担をかけます。一般に高校生くらいになれば体の成長は止まりますが、高身長の子は成長が遅く、2メートル超えのバレーボール選手では、体毛が生え揃っていないこともままある。個人差もありますが、ヒゲが生え始めるころが成長が止まるひとつの基準。それまでは体幹トレなどにとどめるべき」と川村准教授は警鐘を鳴らした。

「ダルビッシュ(有=カブス)は高校時代、成長痛でほとんど練習をしなかったことが奏功した。日本ハムは慎重な育成方針で有名ですが、大谷のときは本人の意向か、体ができる前にウエートに手を出したことで股関節にケガ癖ができてしまった。佐々木君は絶対にそれを避けるべきです」

 成長度合いを見誤らずに育てれば、間違いなく大谷を上回ると川村准教授も断言する逸材。日本球界、いや“人類の宝”を預かる球団の責任は、想像以上に重そうだ。

【比例する球速と回転数】2008年に行われたある調査によると、ストレートの回転数はNPBの平均的な投手で毎秒33~36回転。このときの調査では特に回転数の多い投手として、松坂大輔(中日)が毎秒42回転、藤川が毎秒45回転を記録した。

 MLBの投手では平均で毎秒36回転程度とされており、大谷は毎秒36回転、チャプマン(ヤンキース)が毎秒45回転。上原浩治(巨人)はメジャー時代に「毎秒40回転以上」と言われ、話題になった。

 バックスピンの回転数が多ければボールはより揚力を受け、糸を引くようないわゆるノビのある球となる。藤川や上原のように球速に対して極端に回転数の多い投手もいるが、球速と回転数はおよそ比例関係にある。

 最速163キロを記録した佐々木の場合、毎秒43~45回転程度は出ていると見られ、165キロの大谷は球速の割には少ない回転数ということになる。

☆かわむら・たかし 1970年5月13日生まれ、北海道江別市出身。小学校1年生のとき軟式野球チーム「大麻アトムズ」で野球を始める。中学では大麻中軟式野球部でプレー。札幌開成高校進学後、3年夏に主将として甲子園出場。筑波大学、筑波大学大学院を経て96年浜頓別高校に教師として赴任。4年間野球部の監督を務める。2000年から筑波大学体育科学系講師として講義を行い、その後硬式野球部監督に就任。選手の指導・育成に携わる傍ら、体育系准教授として野球動作解析の研究を行う。著書に「甲子園戦法 セオリーのウソとホント」(朝日新聞社)、「バッティングの科学」「ピッチングの科学」「監督・コーチ養成講座」(いずれも洋泉社)など。174センチ、80キロ。右投げ右打ち。