桜咲いた慶大前田祐吉と早大石井連蔵の殿堂入り

2020年02月01日 11時00分

【越智正典 ネット裏】早大監督小宮山悟はシャレた男だ。あすは野球功労者の殿堂入りが正式に発表されるという1月13日、新田高校、早大先輩、元東京六大学先輩理事、亀田健と、防府高校、早大、どんなことにも一生懸命だったマネジャー、内山雅博にメールを打った。

「桜が咲きます!」。ピーンと二人は、当日1月14日、野球殿堂博物館に駆けつけた。あの早慶6連戦をたたかった慶大監督前田祐吉と、早大監督石井連蔵(ともに故人)が特別表彰で殿堂入りした。石井連蔵は1986年二浪の小宮山が入学したときの監督で、ブルペンで1球投げると全力疾走でグラウンド一周。2球目を投げたときも同様で、付きっ切りで特に呼吸を鍛えた。ロッテに入団したとき小宮山は小遣いで花を買って石井に贈っている。

 石井連蔵は32年(昭和7年)茨城県生まれ。水戸一高、早大、エースで4番、主将、通算21勝。4年秋首位打者。日本鋼管、58年早大監督。退任後朝日新聞社勤務。このとき、日米大学野球選手権大会創設に尽力した。石井は南加大監督、ロッド・デドーらに説いた。「わたしはB29が日本に爆弾を落としにくるのが口惜しくて、落とそうと思って空に向かって石を投げました。もう若者にこんな思いをさせてはいけません。平和な白い球を投げ合いませんか」。デドーは日本の関係者に会うと、イシイの話をしていた。石井はこのあと第14代監督に。通算4度優勝。小宮山は第79代主将である。

 高知の関係者は「祐吉さん」が帰ってくる日をそれはたのしみにしていた。心がひろく、やさしい人柄にふれるのがうれしいのだ。前田祐吉も、要職に就いても、ふるさとを忘れないで時間を作って帰省。みんなに挨拶回りをしていた。誰もがみやげ話をたのしみにしていた。質問も出た。“新聞に出とったが、巨人の多摩川というのはなんじゃろ”。

 前田祐吉は高知県出身者では初めての殿堂入り。30年、昭和5年生まれ。終戦翌年の46年、第28回大会にはるばる西宮球場にやって来た。甲子園球場は占領軍に接収されていた。食糧難時代。出場校は食糧持参。NHK野瀬四郎アナウンサーが「高知城東中学」(高知追手前高校)の前田祐吉の健投と立派なマナー、芦屋中学6対2、松本市立中学2対7を「ちいさな大投手」と活写した。元NHK、テレビ朝日のアナウンサー太田真一は「NHKのスポーツアナの会では、いつも野瀬先輩と前田さんの話に花が咲きました。54年センバツ優勝の飯田長姫の光沢投手はちいさな大投手二代目ですよ」

 前田は60年、慶大監督に就任すると塾の先輩選手の写真を探し、集めた。各社各局の友人にも頼み、合宿所に先輩の写真をかざった。これが彼の監督としての出発点であった。65年に退任するまで優勝3度、82年再び監督に。93年に退任するまで5度優勝。2度の任期で優勝計8度、63年と87年には全日本選手権に優勝した。会うと「あのときは失敗しましてね。選手にすまなかったですよ」。失敗談ばかりを語っていた。
=敬称略=