【越智正典 ネット裏】東大が8月に北海道室蘭で夏季キャンプを実施する。監督浜田一志の見事な始動といえる。東大は6月4日に、元ヤクルトの松岡弘を投手コーチに招へいすると発表しているが、松岡は倉敷商、三菱重工水島、1967年サンケイ(ヤクルト)に指名され、68年の都市対抗後に入団。85年現役引退。登板660試合。191勝。80年最優秀防御率投手。球宴8回。2014年に学生野球指導の資格を取得。

 東大先輩田和一浩は丁重に松岡を迎えている。

「松岡氏は現役時代の活躍を知る以外は個人的に存じ上げませんが、たいへん立派な方と仄聞しており、大役をお引き受け願ったことを嬉しく思っております」。そう語る田和は、乞われて国際野球連盟の第一副会長を務めていたが、78歳のときに改選があり、任期中に80歳になる。後進のためにもよくないと再任を辞退。立派な勇退だった。ドイツ語も達人なのにウィーンに勉強に行っていた。

「東大野球部は現在、部員108人。見られない選手が一人でもいてはいけないと、浜田監督が松岡さんにお願いいたしました。6月11日には本郷に来て頂きました。室蘭には投手井手峻も帯同願えることにもなっています」。井手は中日の役員時代、イースタン・リーグにも調査に。新治伸治(大洋)の葬儀では受付け。弔問の方々と一

礼二礼三礼。

 私は小学生のときに帝大(東大)の由谷敬吉投手が大好きだった。一生懸命投げているのがこどもにもわかった。

 由谷投手は鳥取一中、一高、東大。2回戦制だった昭和14年。春は立大法大法大を破り、三好、浅井、南村の早大と引き分け、2対2。加藤三郎、児玉、黄金期の明大と3対3。西郷、柚木兄の立大と3対3。10戦全完投、大記録である。秋は9試合に登板。全完投。早大1対1。立大1対1。年度19試合全完投。凄い。「東大野球部90年史」は昭和18年11月26日、旧満州興山の野戦病院で逝去…と静かに伝えている。

 ネット裏に席を貰えるようになってから伊丹安広神宮外苑苑長(早大、捕手、監督、78年殿堂入り)が、由谷ら帝大ナインは人物もすぐれていたと絶賛されているのに接し、改めて六大学を学んだ。いまは、いまでも少年のような純な思いの、東大8勝左腕、日本ハムのGM補佐、ベースボールオペレーション部長遠藤良平を尊敬している。

 実は私は、浜田監督の母校、あの純白のユニホームの土佐高校、溝渕峯男初代監督、荒木又右衛門が好きなことから通称荒木のオッチャンにご指導を頂いて来た。高知を訪れると毎朝帯屋町でモーニング。楽しかった。

 篭尾良雄監督にもご指導を頂いた。練習を見学に行くと、篭尾先生は「右文寮」で教鞭を執っていた。一心不乱な姿が目の奥に焼き付いている当時の土佐高の選手たちが、口を揃えている。

「浜田監督は、これから東大を優勝させるんだ、やっちゃるぜというちょる。本気なのが男ぜよ」
 =敬称略=