全日本大学王者の明大 ソデに猪の伝統「猪突猛進」を体現した山村一郎

2019年06月22日 11時00分

【越智正典 ネット裏】第68回全日本大学野球選手権大会は明治大学が優勝、令和初代王者となって閉幕した。

 準々決勝当日、広島は神宮球場にスカウト9人の総動員。トーナメント大会のきびしさを知る、東京都高野連顧問、高本晴夫(順天堂大)は乗り出して観戦していた。高本は高校野球が始まると、府中球場、神宮第二球場、決勝当日は神宮球場の入り口で、当番校の生徒と「出場選手名簿」を売り続けて来た。生徒が、買いに来たお客さんにお礼を述べると、それは喜んでいた。そういう男である。

「全日本に出て来ただけでも明治の善波達也監督はお見事です。確か14年に推されて大学侍ジャパンの監督になると、徳望集まりましたね」。任期延長。が善波は母校を離れて久しいと前東都事務局長白鳥正志に話をし、スジをとおして明治に戻って来た。善波は「猪突猛進」をかかげ、ユニホームのソデに猪のワッペン。今春5季ぶりに六大学で優勝した。

 昔、明大選手が猪をソデに付けたのは山村一郎(荏原中)の提唱に始まる。大正4年卒業の大先輩である。

 明大8番目の体育部として誕生した野球部は明治43年、1910年、第一年から多事であった。田中茂光著編「明治大学野球部創部100年史」に従って草創期の歩みを見ていくと、創部と同時に「柏木」、現JR東中野のそばの大根畑に球場を作った。監督佐竹官二らみんなで大根を引き抜いたが地面が固まらない。歩兵一個中隊に分列行進をして貰った。球場開きは3対4慶応大。

 3年目の大正2年、マニラで開かれた第一回極東五輪競技会に出場して全フィリピンに2連勝、優勝した。この遠征はひょんなことから実現した。慶大が招かれたのだが試験とぶつかると断った。この話を聞き込んだ山村が大学と談判。一行は神田から人力車を連ねて新橋ステーションへ。1月16日、長崎からコレア号で一路マニラに向かっている。

 大正3年も多端、いや春から波瀾万丈。5月に山村は大学に呼び出された。「ワシントン大学に招かれたのだ」という。第一回米国遠征の壮挙になる。100年史は、しかし「金も持たずに出発」と見出しを付けている。一儲けを狙った男の企みだったのが現地でわかった。

 出発前山村の父親が袋と在留邦人への紹介状を「これを持っていけ」。父親は長崎、神戸、横浜で検疫所を開いていた。心配だったのだ。袋には10ドル、20ドル金貨がザクザク。あとで助かる。

 日程変更。7月2日、シアトルの日本人青年会を第一戦にわずか11選手で北米大陸を転戦。全56試合。帰国した秋は六大学の前身「三大学」の結成に奔走。関係決裂中の早慶を調整。こうしてみると、まさに「猪突猛進」だったのである。

 人間力の監督島岡吉郎は心から山村を尊敬していた。昭和32年春、最下位に転落すると猪をソデにと決意し、チーフマネジャー吉田秀男(明大中野)を呼んだ。「猪を探せ!」 つづく
 =敬称略=