女子ソフトボール発展に貢献したコロッケ先生&準備大切先生

2019年05月12日 11時00分

【ネット裏・越智正典】5月9日午前10時からTOKYO2020の入場券の抽選販売申し込み受け付けが始まる。4月17日の紙面で本紙はその見どころをお伝えしたが、大会最初の競技は開会式の2日前、7月22日午前9時、福島市あづま球場でプレーボールのソフトボール。あづま球場へはJR福島駅「東口」からだが、福島は美しい町だ。西口に出ると、北に信夫山、そう遠くない市内に古関裕而記念館。ロビーに落ち着くと氏の名曲のひとつ、1964年の東京五輪開会式の入場行進曲が流れてくる。終戦からの日本の歩みがめぐりめぐってくる…。

 日本占領の米第8軍が重装備で横浜から東京に進駐して来たのは45年9月8日。布告はすさまじく、日本人の日没後の外出を禁ず。占領軍の車を追い越す者があれば射殺する。1週間後の9月15日、グロリー少佐指揮の500名の部隊が現国立競技場を接収。「ナイルキニックスタジアム」と呼称。11月11日にはロデオ大会。神宮球場は「ステイツサイドパーク」(鈴木幸市編、明治神宮外苑七十年誌)。銀座も接収された。松坂屋デパートの地下がキャバレー「オアシス・オブ・ギンザ」(MPのジープから見た占領下の東京、同乗警察官の視察記)。

 外苑のいまの軟式球場では占領軍の女性兵士か、家族なのかわからなかったが、投手が大きな球を下から投げる“野球”をやっていた。びっくりした。ソフトボールとは知らなかった。

 昭和30年代になると、東京でも女子高にソフトボール部が増えた。神田学園、学習院大高…、小岩の愛国学園は疾風のようなチームだった。監督が、50年日本プロ野球初の日本シリーズで優勝した毎日の投手、2戦5戦に先発、6戦に抑え、殊勲の3勝を挙げた野村武史(明大)なのを見て、肯けた。

 練習試合が盛んで電車に乗るときに彼女たちは、女の子が野球をやっていると思われるのが恥ずかしい…とボールを買い物籠に入れて下げていた。

 都立小松川高、国分寺高の英語の教師、山本政親は見事なチームを作った。練習でも試合でも準備が大切と説いた。この教えは世の中に出たときにも役立つ。頼まれて東京女子体育大学に教えに行き黄金時代を作った。
 巣鴨商業の監督、稲葉修三は、帰り道にコロッケを売っている店を見つけると、ポケットマネーで買いみんなで食べた。彼女たちは大喜び。彼は緊張を解きほぐしたかったのだ。プレーの、ほんの一例だが三塁ゴロが飛ぶ。塁を空けてはいけないとレフトが全力で走って来て三塁を固める。全塁が埋まる。

 塁に出た走者は投手の手からボールが離れる前に塁から出ると、離塁アウトになるから塁上、投手を凝視する。本紙評論家だった青田昇は健気なプレーに感心しプロ野球中継の解説で、女の子を見習え!とよく言っていた。

 私は普及、底辺拡大に尽くした、コロッケ先生や準備大切先生を立派だったなあーと思い浮かべている。
=敬称略=(スポーツジャーナリスト)