【ネット裏 越智正典】2019年1月1日付で早大監督に就任した小宮山悟は暮れに、尊敬する坂本周三、往時愛称が「ブンちゃん」だった先輩に挨拶に行った。名前が周三なのにブンちゃん。ドラマがあった。

 58年、市岡高から早大に進んだ投手坂本は39年大阪生まれ。家は中等野球以来の伝統校、市岡中、市岡高女、市岡高の隣で、市岡の始業のベルが鳴ってから登校できて遅刻ゼロ。監督は関学出身。関学へすすめられたが、奈良県立北大和の先生だった次兄が早大をすすめた。次兄の級担任の生徒に明石家さんま(のちに転校)。笑いが大好きなこの生徒に「授業に出なくてもいい、花月劇場へ通え」。長兄、次兄との三兄弟は人間味豊かだった。

 早大で同期42人。早慶6連戦のあの安藤元博(坂出商)、荒川悌二(水戸一)、東京六大学元先輩理事鈴木勝夫(戸畑)。鈴木はその後早慶戦に勝った晩に二次会で歌いに行っても、安藤が好きだった「加賀の女」だけは歌わなかった。歌うと涙が溢れ止まらなくなるからだ。

 通いの同期もいた。浜田高の大型三塁手、森勲。つらかったであろう。93年、浜田から和田毅が入部してくると、監督野村徹の許可を取りこの後輩左腕を食事に。「食べろ、食べろ」。和田はダイエー(ソフトバンク)、MLBで活躍する。

 捕邪飛捕球の達人、米山忠徳(赤城台)。日が暮れ監督石井連蔵が捕邪飛を打つ。彼が捕るとその日の練習が終わるのだが、彼ほど本塁とマウンドを掃除した男はいない。この学年は友情チームだった。

 59年、坂本は2年生。早大投手団は不調。春の立教戦。神宮球場に着くと、岩本光弘(1学年上、湘南、東芝第3代監督)が「行くぞ」。捕手野村徹が見事にサインを出す。坂本の主戦球はドロップ。立大打者に考える時間を与えてはいけないと颯と次球のサインを出す。高林恒夫(巨人、国鉄)を三振。浜中祥和(大洋)を三振…。連続5奪三振。すると早大学生席から紙吹雪。苦戦が予想されたのに紙吹雪を用意していた彼らは偉大な“評論家”と言えた。それからポップフライの連続。また紙吹雪。「坂本を出せ」。このコールは閉幕まで続いた。

 坂本は市岡の先輩、南村不可止(巨人)から鎌倉の自宅に食事に招かれた。「ありがとう。久しぶりに市岡の名前を轟かせてくれた」。坂本は夢のようであった。市岡は佐伯達夫(日本高野連元会長)ら多くの名指導者名選手を輩出している。

 夏休みになって帰省していると、秋に備えて集合されたし…という通知が来た。「坂本文次郎殿」。海草中(向陽高)、海兵団帰りの、大映の三塁手、坂本文次郎は打球に向かって突進。「突貫小僧」と人気があった。通知を書いたマネジャーは突進は選手のいのちと思っていた。「ブンちゃん」が誕生した。

 小宮山悟の挨拶の第一声は「ヒゲを剃って来ました」。 (つづく)
 =敬称略=
 (スポーツジャーナリスト)