「ソルト」と呼ばれているけど“塩対応”なわけじゃありませんよ

2018年03月24日 16時30分

ブランドン・キンツラー(ロイター=USA TODAY Sports)
元局アナ 青池奈津子「メジャー通信」

 

【ブランドン・キンツラー投手(ナショナルズ)】「転機が訪れるまでの自分は『俺はプロ野球選手ではある…』けど、練習に臨む姿勢も精神的なフォーカスも100%ではなかった。『ああ、練習するさ。ああ、キャッチボールするさ』って感じ。片方の足はそこにあったけど、もう片方はどこか違うところを向いていた。ここまでくること自体、難しいって言われている中で、ここまではきたよって。誰かに、もう君は無理だって言われるまでやっていればいいかって、どこかで思っていた」

 ナショナルズのブランドン・キンツラーのサクセスストーリー後編。

 パドレス傘下の1Aチームを解雇され、独立リーグでプレーすること3年目。カナダで出会った恋人をアメリカに連れて行っていい生活をさせてあげたいと、野球に真剣に取り組み始めて、立てた目標は「独立リーグのオールスター戦の選手になってスカウトの見ている前で投げる」というもの。まずは、両足をメジャーの入り口に入れる必要があった。

「2009年は特に調子が良くて、たった2イニングで試合の翌日(同年シーズン半ば)にはブルワーズ傘下の2Aチームと契約していたんだ。これまで1A以上のチームで1か月も持ったことないのに、いきなり2A。そこからすごくいい機会をもらって、翌年には大リーグ入りしたんだよ」

 少しほほ笑んだ後で、真顔になった。

「でもね。クローザーになるなんて夢にも考えたことないんだ。ましてや、オールスター戦で投げている自分なんて夢の中の夢だった」

 メジャー入り後もよく故障に泣かされ、最も活躍した13年でさえ、実はヒザに痛みを抱えながら投げていた。

「球団に痛みを訴えたんだけど、その年はすごく調子が良くて、あまり誰も気に留めてくれなかった。検査で異常を見つけたくなかったのかな、投げられていたし。翌年にヒザからくる負担で肩を痛め、セットアッパーの役目を降ろされ、終盤でようやく受けたMRIでヒザの腱が切れていたことが分かったんだ」

 すぐに手術を受けたが…。「リハビリがうまくいかず、以前の強さを取り戻せなかった。それでも大丈夫だろうと思って投げた。2年も痛みを抱えたまま投げていたから、感覚がまひしていたんだね。ふたを開けてみたら、投げ込みの着地に使う左足が以前より60%強度が下がっていたんだ」

 15年オフ、ブルワーズはブランドンをリリースした。

「あの時、もう無理だって言うやつらの意見を覆したいって使命感でいっぱいだったのにリリースされて…。マイナー契約さえ取るのが難しく、やっとのことでツインズだった」

 その彼がツインズで守護神を務め、昨年の球宴に選ばれたのだ。

「オールスターゲームで名前を呼ばれた時、特別で最高だった。練習中から、これまで足を引っ張ろうとしてきた人たちだとかのいろんな表情がよみがえって、ブルペンから出ていくまでには、かなりエモーショナルになっていたよ。結果的に、僕のほうがいい思いをしたから、今はもう恨んでないけどね」

 ブランドンは、クラブハウスでは「ソルト」と呼ばれている。

「塩っぽいやつってことかな。別に怒ってはいないけど、いつも怒っているふうだから。僕はね、いろんなことを経て、何事も軽くなんて捉えられない。毎日すごくすごく真剣なんだ。一瞬にしてなくなるから」

 こんなにも熱く語り、人生と向き合うブランドンは、むしろ「ヒート」という感じだが…。

「みんなにはね、諦めちゃいけないって言うんだ。1か月でも歯を食いしばったら、一瞬で何かが起こることもあるのだから」

 ☆ブランドン・キンツラー 1984年8月1日生まれ。33歳。ネバダ州ラスベガス出身。178センチ、86キロ。右投げ右打ち。2004年にドラフト指名されたパドレスに入団。右肩の故障で06年に自由契約となり、独立リーグを渡り歩く。ブルワーズに在籍していた10年9月10日のカブス戦でメジャーデビュー。13年からリリーフに定着する。オールスター戦に初選出された昨季は7月にツインズからナショナルズに移籍し、計72試合に登板して4勝3敗29セーブ10ホールド、防御率3.03。ナショナルズではセットアッパーを務める。