現役晩年の経験に根差していた片平晋作さんのコーチ哲学

2018年01月31日 11時00分

西武のコーチ時代に清原(右)を指導する片平氏(1993年4月)

赤坂英一 赤ペン!!】29、30日は片平晋作さんの通夜と告別式である。亡くなったのは22日で、死因は先に他界した星野仙一さんと同じ膵臓がん。70歳で逝った星野さんも早かったが、片平さんは2歳年下の68歳という若さだった。

 私が最後に片平さんに会ったのは昨年10月、CSファーストステージ西武―楽天戦でのこと。かつての教え子だった片岡(現巨人二軍内野守備走塁コーチ)と一緒にテレビ解説を務め「片岡はいいコーチになると思う。結構苦労してますから」と話していた。

 片平さんは1989年に現役引退後、西武で90年から打撃コーチ、二軍監督、編成部長を歴任。とりわけ若手の育成に熱心で、若手時代の小関(現巨人打撃コーチ)をマンツーマンで徹底的に鍛え上げていた。

「小関が寮にいたころ、夜9時ごろに室内練習場に連れて行って、こっそりと打ち込みをやらせた。本当はぼくが特定の選手に入れ込んじゃいけないんだけど、小関が放っておけなくてね」

 逆に「こいつは何も教えなくても、必ず出てくると思った」のが主砲となった“おかわり”中村だという。「若手のころから頭がよかった。一度対戦しただけで、相手投手の特長を把握し、対策を考えられるから」と言って、こう続けた。

「現役時代、同じチームに中村がいたら、イヤだと思ったでしょう。ぼくはいつもそういう目で若い子を見てた。自分のライバルだったらイヤだ、と思わせるぐらいの選手ほど伸びるんです」

 この片平さん独特の尺度は、現役晩年の経験に根差している。西武でダイヤモンドグラブ賞(現ゴールデン・グラブ賞)を取るぐらいの名一塁手だった86年、守備位置のかぶる清原が入団。西武球場で一塁を守っていたら「清原と交代しろ! おまえなんか見に来たんじゃねえ!」と、西武ファンに罵声を浴びせられた。

「そのとき、スタンドに女房と娘を呼んでたんだよね。たまらなかったけど、清原は素晴らしい選手だから。それでぼくはDHに回ったんです」

 片平さんの話を拙著「プロ野球二軍監督」に書き、1部送ったらこう言われたものである。

「ぼくの話なんか書かなくてもよかったのに。無理に本に入れてもらって申し訳なかったね」

 これほど謙虚な野球人も珍しい。謹んでご冥福をお祈り致します。