足で稼いで20年 外国人選手こぼれ話 広瀬真徳

 バリー・ボンズ――。メジャーファンだけでなく野球ファンならこの名を知らない人はいないのではないか。

 MLB史上最強のスラッガーと呼ばれ、通算762本塁打は現在でも歴代1位。現役生活の晩年は薬物問題で騒がれたものの、いまだに米国でも高い人気を誇る。昨シーズンはイチローが所属したマーリンズの打撃コーチを務めた。その際、周囲に笑顔を振りまいていたこともあり、日本では彼に対し悪い印象はないはずだ。

 ところが、記者が現場で取材していたジャイアンツ時代のボンズといえば、「メディア嫌い」で有名だった。

 監督や選手、報道陣らにたびたび暴言を吐いていたこともあり、チーム内でも孤立状態。彼が居座るロッカーの一角は常に人を寄せ付けない独特の空気が漂っていた。

 そんなボンズが意外な一面を見せてくれたことがある。2002年、野村貴仁(当時ミルウォーキー・ブルワーズ投手)との対戦で死球を受けた時のことだ。

 試合後にロッカーを訪れると、いつものようにボンズの周囲は人影がまばら。複数の米記者が取材を試みても、本人は完全無視を貫いていた。

 メディア嫌いに加え死球…。気分がいいはずがない。とはいえ、このままではラチが明かない。ふと気が付けば、周りには誰もいなくなり、ボンズの目前には私だけ。動揺しながら様子をうかがっていると、奇跡的にも本人が声をかけてきた。

「何だ、用か」

 予想だにしない状況に頭が混乱した。ただ、向こうから声をかけてきてくれたチャンス。逃すわけにはいかない。

「今日の死球について話を聞きたいのだが…」

 怒られる覚悟で聞くと、ボンズは意外にも笑って答えた。

「見ての通りだ。相手投手のことはよく知らないが、死球を受けたボールを除けばいいコースに投げ分けていたんじゃないか」

 気さくに話すスター選手の姿はそれまでの印象とは別人。それどころか、イチローやチームの同僚だった新庄剛志についても快く話をしてくれたのである。

 ところが、この数分後、私の様子を遠巻きに見ていた米記者が我々の会話に加わろうとした瞬間、ボンズは人が変わったように後ろを振り向き無言に。そのまま、ロッカーを出て行ってしまったのである。

 バツが悪そうに米記者がこうささやいた。

「君たちの会話を邪魔したみたいで申し訳ない。でも、バリー(ボンズ)が気さくに記者と話すのはいつも日本人や他国の記者ばかり。我々が話をしようとしてもまともに話をしてくれないことが多いんだ。本当、悪かったね」

 メジャーの大物選手にはよくあるこうした「2つの顔」。辛辣な米メディアに不信感を抱いていたボンズだからこその明確な意思表示だったのだろう。

 とはいえ、目の前でこれほどあからさまに対応を豹変させられたのは初めてだった記者…。メジャー取材の奥深さを痛感した一幕だった。

 ☆ひろせ・まさのり 1973年愛知県名古屋市生まれ。大学在学中からスポーツ紙通信員として英国でサッカー・プレミアリーグ、格闘技を取材。卒業後、夕刊紙、一般紙記者として01年から07年まで米国に在住。メジャーリーグを中心に、ゴルフ、格闘技、オリンピックを取材。08年に帰国後は主にプロ野球取材に従事。17年からフリーライターとして活動。