イチロー支えた「保温」つき瞬間湯沸かし器

2017年03月29日 11時00分

マリナーズ時代のイチロー(右)とピネラ監督
足で稼いで20年 外国人選手こぼれ話 広瀬真徳

 

 ピネラ監督と記者。監督室で対峙すると、お互いけん制し合うように沈黙が数秒続いた。何とも言えぬ緊張感。張り詰めた空気を払拭すべく、こちらから沈黙を破った。

 

「昨日のことなんだけれど…申し訳なかった」

 

 ちらりと顔を見ると椅子に座った表情は変わらなかった。ただ、眼光は前夜の鋭さはなく、むしろ優しい目。そう思った矢先、立ち上がった指揮官は思いもよらぬ言葉を口にした。

 

「いや、昨日は俺の方が…。感情が高まり、抑えられなくなってしまった。不快な思いをさせてしまったな」

 

 監督自身、自らの言動を気にしていたというのである。

 

「キミたち日本人記者はイチローや佐々木の活躍を毎日、日本に報じている。イチローのことを聞きたいのは当然だろう。私がキミと同じ立場なら、同じような行動をしたはず。そう考えると、本当に無礼な態度を取ってしまったと思っているんだ」

 

 全身の緊張感が一瞬にして吹き飛んだ。同時に、「瞬間湯沸かし器」と呼ばれる指揮官が、「スイート・ルー(愛すべきルー)」という愛称で大勢のファンから慕われる理由も納得できた。この一件で、一気に距離が縮まったピネラ監督との関係。以後、私がどこで質問しようと、丁寧に対応してくれたのは、この時の振る舞いがあったからなのかもしれない。

 

 ピネラ監督はその後、2002年にマリナーズを退団。デビルレイズ(現レイズ)を経て、07年からはカブスで指揮を取った(10年まで)。カブス時代に再び会った際、当時の話をすると、彼は笑みを浮かべながらこう振り返った。

 

「もうキミはイチローを追っていないのか? イチローは間違いなく殿堂入り選手になるよ。俺が保証する。技術だけでなく野球への姿勢や準備、全てが素晴らしい。ケガさえしなければ、彼は40歳を超えてもメジャーでプレーしている。彼とともに過ごせたことは今も楽しい思い出だよ」

 

 イチローは昨季、日米通算ながらピート・ローズが持つメジャー歴代最多安打記録(4256安打)を塗り替え、今もメジャーで現役を続ける。偉業は本人の努力が大きいものの、その道のりを陰で支えていたのは当時指揮官だったピネラ監督に他ならない。日本人野手がまだ誰も活躍していなかった01年、イチローの才能を信じ、米国でも自由にプレーさせる環境をつくり上げたからだ。

 

 もっとも、監督にそんな話をすると、決まって「俺は何もしていない」。謙遜する姿勢も彼の魅力の一つといえる。

 

 人情味あふれる性格で選手や記者をとりこにした名将。「瞬間湯沸かし器」でありながら、実は「保温」が利く闘将だったのである。