【赤坂英一「赤ペン!!」】2位に終わった今年、巨人で最も充実したオフを過ごしているのは斎藤二軍監督だろう。1月には通算180勝、最多勝5回、最優秀防御率3回など、現役時代の実績が評価されて野球殿堂入りが決定。今年は二軍監督就任1年目で21年ぶりに日本一を達成し、侍ジャパンU―23ワールドカップの監督にも選ばれ、世界一にまで輝いている。

 11月30日の殿堂入りを祝う会には350人もの出席者が集まり、「こんなにたくさんの人に祝福していただき、私は本当に幸せ者です」と、飛びきりの笑顔を見せた斎藤二軍監督。その“平成の大エース”に、老川オーナーは「斎藤さんは現役時代、打者としても5本の本塁打を打った。もし今の大谷選手のように二刀流に挑戦したら成功していたのではないか」と、少々ヒネリを利かせた賛辞を贈った。

 実は、斎藤は現実に、首脳陣に野手転向を勧められたことがある。1982年秋のドラフト1位で巨人に入団しながら、初の2桁勝利(12勝)を挙げた85年以外はパッとせず6年目、88年オフに夫人と結婚したときのこと。披露宴であいさつした当時の須藤二軍監督が「斎藤くんが内野手になったら、巨人のショートは向こう10年間安泰ですよ」とやったのだ。

 これがただのジョークに聞こえなかったのは、当時の斎藤の打撃や守備力が、投手としてはそれだけ図抜けていたからである。一説には、斎藤に対して真剣に野手転向を説得した首脳陣もいたといわれ、その可能性を大真面目に論じたスポーツ紙もあったほど。

 結局、その88年秋から巨人に復帰した藤田監督に、オーバースローからサイドスローへフォームを改造され、89、90年と2年連続20勝で最多勝と最優秀防御率のタイトルを獲得。斎藤は“平成の大エース”への道を歩むことになるのだが、そのころになってもまだ「昔は野手に転向すると書かれたりしてさ、あれには参ったよ」とコボしていたから、結構カチンときていたのかもしれない。

 しかし、あれから30年近く、時代は変わった。もし斎藤二軍監督に二刀流の選手を育てるつもりがあるなら、大いに興味をそそられる。一見温厚なようでいて、現役時代は大変ストイック、指導者としても実に厳しい。今後は大谷に勝るとも劣らない人材をファームから輩出してほしいものだ。