DeNAの三浦大輔投手(42)が20日、横浜市内のホテルで記者会見を行い、今季限りでの現役引退を表明した。1991年のドラフト6位で大洋に入団以降、球団名は横浜、DeNAと変わったが、球団一筋に25年。リーゼントをビシッと決め、この日の会見に臨んだ三浦は時折言葉を詰まらせ、目を潤ませながら感謝の言葉を述べた。そんな「ハマの番長」が後輩たちに伝えたかったこととは何なのか。本紙記者に熱っぽく明かした「番長の美学」とは――。

「おい『出禁』じゃないのかよ!」

 番長の所に顔を出すと、まずかけられたひと声がそれだった。自分が横浜番だったのは、まだ「横浜ベイスターズ」だった2006年だが、当時は万年Bクラスで夏場には早くもストーブリーグが始まるような状態だった。フロントと現場の一体感もなく、そんな現状ばかりを記事にしていた記憶がある。冒頭のやりとりはそんな名残からきた“お約束”のようなものだった。

 当時は色眼鏡で接してきたり、煙たがるフロントや現場関係者も少なくないなか、番長はいつもフラットな視線で接してくれた。同じ1973年生まれ。仕事の愚痴を聞いてもらったこともあった。宜野湾キャンプでは練習後、食事会場から出てきた番長と話しているうちに「まあ、座って話そうや」とフロアの隅のソファへ。いつしかバカ話へと発展し、気がついたら1時間以上、話に付き合ってくれたこともあった。

 先日、久しぶりにDeNAの取材で番長の元を訪ねた。当時と変わらずハマスタのスタンドを黙々と走っていた。終わったあと、コーチとして、走り込みの大切さも教えているのかと聞いた。すると「その話もしているけど、俺の練習が全員に合うかっていったら、合うわけじゃない。ただ、参考にはなると思うし。まあ、野球に対する取り組み方だよ」。その後、話は次第に熱を帯びていった。

「先発投手だったら、マウンドに上がるまでの準備。中5~6日ある中での過ごし方。そういう姿勢って、他の選手も監督、コーチ、ファンも見ている。その姿勢が大事だぞって。それが信頼関係につながる。野手、中継ぎにしてもそう。例えばストッパー。抑えればセーブっていう華やかなものがある分、全部背負い込まなアカン。先発、中継ぎとつないで、野手が打って守って『最後、お前に任せたぞ』っていうところで失敗してしまうと、すべて崩れてしまう。しんどい部分だけどやりがいも感じるだろ、と。だから普段の練習、野球に取り組む姿勢も大事だぞって」

 話はまだまだ続いた。「普段、チャラチャラしてて抑えられるならいいよ。それでも打たれたときに、野手に『打たれたらしょうがない』って思われるくらい野球に取り組めているかって。そういうのが信頼関係につながるんだぞって。誰一人打たれようと思って打たれてないし、アウトになろうと思って打席に入っているやつなんていない。だからこそ、その過程とか取り組む姿勢なんだよ。失敗しても許されるために、そういうことをしろって言うてるわけじゃない。見てくれている人は見ているよと。それがチームの絆、強くなることなんじゃないのって」

 98年に優勝、日本一を経験して以降、チームは低迷が続いた。そんな中、背番号18、ハマのエースを張ってきた。あの時、思わず飛び出した熱い言葉の数々は、そんな三浦大輔が「背中で訴えたかったこと」だったのだろう。最後は照れ隠しなのか、しんどそうな表情を取り繕って「でもな、しんどいねん、練習。俺、大っ嫌いやねん、練習が」。しっかりオチを作って締めた。

 ついに迎えた三浦引退。その視線の先には、番長の「背中ごしのメッセージ」を感じた選手たちが、懸命に野球に取り組む姿があるはずだ。(元横浜担当・佐藤記者)