【元番記者が明かす鯉の裏話(1)】25年ぶりのリーグ制覇を目前にしているカープ。今季は圧倒的な強さで首位を独走していますが、ここに至るまでは山あり谷ありでした。そんな苦難の時代を知る元番記者が、当時の秘話を明かします。第1回は緒方孝市監督(47)の恩師でもある元監督の三村敏之さん(故人)の“野望”に関するエピソード――。

 カープの選手の称号やニックネームには二番煎じ的なものが多い。代表的なのは長嶋茂雄さんの「ミスター」に対する、山本浩二さんの「ミスター赤ヘル」。背番号55を背負って2004年に首位打者のタイトルを獲得した嶋重宣(現西武打撃コーチ)は「赤ゴジラ」、日本ハム・斎藤佑樹と名前の読み方が同じ斉藤悠葵(2014年に引退)は「赤いハンカチ王子」と呼ばれ、今をときめく鈴木誠也の前に背番号51をつけていた左打ちの外野手、末永真史は「赤いイチロー」だった。

 担当時代に監督だった三村敏之さんは「赤」を使わずにオリジナリティーを出そうと真剣に考えていた。そこで出てきたのが「セニョール」の称号だった。意図を尋ねると、三村さんはライバル球団の監督の名を挙げてこう言った。

「巨人の長嶋さんは『ミスター』で、フランスで監督経験がある阪神の吉田(義男)さんは『ムッシュ』。カープはスペイン語圏のドミニカ(共和国)にアカデミーもあるし、2人に対抗して『セニョール』はどうかな、と。これからは記事を書くときに『セニョール三村』と書いてくれ」

 その日の雑観記事にはしたが、同業他社も追随する様子はなく、定着するまでには至らなかった。周囲の反応など気にせず「セニョール」と書き続けるべきだったと、少しだけ後悔している。(1997~99年担当・礒崎記者)