阪神・福留孝介外野手(39)が日本人選手6人目となる日米通算2000安打の偉業を達成した。25日の広島戦(マツダ)の6回、第3打席の二塁強襲安打で大台到達。さらに福留は26日の広島戦でも4打数2安打2打点と存在感を見せつけている。中日、メジャー、阪神と渡り歩いた18年目のベテランに、プロ入り前から不思議な「縁」で結ばれていた元近鉄監督の佐々木恭介氏(66)が、愛弟子とのマル秘エピソードを明かした。

【佐々木恭介氏が明かすエピソード】孝介、2000安打達成、おめでとう。自分のことのようにうれしい。けど遅いわ。いつやったか、おまえは「佐々木さんが僕をあの時、指名してなかったらもっと早く達成してますよ」と笑ってたけど、こっちも言わせてもらうわ。「俺と最初から近鉄でやってたら今ごろ、2500本以上は打っとる」とな。

 振り返ると不思議な縁。俺が近鉄の監督になって初のドラフト会議(1995年)で孝介を1位指名して拒否されたことから始まる。担当スカウトから「セ・リーグ志向が強い」と聞いていたが、大阪の名刹・勝尾寺で祈願された「必勝の紅白ふんどし」を締めて強行突破し、見事、大当たりや。だが、案の定断られて孝介は3年間、社会人(日本生命)を経由して中日入り。当時の近鉄は孝介に7億円もの獲得資金を用意してたし、俺にもわだかまりがなかったと言えばうそになる。

 それがなくなったのは2000年。近鉄の監督をクビになり、評論家の仕事で中日キャンプに行った時、打撃ケージ裏にいると孝介が「あの時は本当にすみませんでした。どうしてもセ・リーグでの思いが強くて…」と頭を下げに来た。俺も「こっちも余計なことをして悪かったな」。何か憎めないところを感じた。

 そして、01年のオフ、中日の監督に就任した山田久志さんから俺に「孝介の再生に来てくれ」と要請があり、同じチームで出会うことになる。3年目を終えた孝介は打率2割5分辺りで伸び悩んでいた。そこで「秋季キャンプから徹底的にバットを振ってもらう。覚悟してくれ」と伝え、1日トータル3000スイングの過酷ノルマを課した。孝介はこれを痛い、かゆいを一切、言わずにやり続けた。俺が阪神のコーチ時代、亀山や新庄は1日2000スイング程度で手首が、マメが…とか言ってギブアップしていたからね。違いすぎた。

 中日コーチとして初めて接した時、孝介に「給料はいくらだ?」と聞いた。「4300万円で今年は2割5分しか打ってないので、たぶんダウンします」と言うから「俺の言うことを2年間黙って聞いてくれたら2億円の選手にしたる。その代わり、他のコーチ、仲間から雑音が入ってきても聞き流して俺についてきてくれ」と話した。その時の孝介はスカスカのスポンジ状態。とにかく“水”が欲しかったと思う。02年は巨人・松井の3冠を阻止する打率3割4分3厘で首位打者を獲得。孝介がすべて腹をくくって頑張ってくれたのが大きかった。

 メジャー・カブス時代には球団を説得し、俺を「臨時コーチ」として招聘し「53」の背番号までつけてくれた。実は阪神とDeNAの争奪戦となった日本球界復帰の際、俺は「条件のいいDeNAに行ったらどうだ。阪神は活躍できればいいけど、ダメならクソみそに叩かれるぞ」と言ったんや。でも、孝介は「阪神で勝負します」とあえて逆境に挑んだ。頼もしいと思ったね。

 そんな孝介に俺はさらにノルマを課す。イチローより長くやってほしい。先に引退したらあかんぞ!

 (元近鉄監督、元阪神、西武、中日打撃コーチ)