黒田200勝足踏みで思い出した…北別府の198勝目が寸前で消えた日

2016年06月08日 10時00分

現役時代から支え合っている河田コーチ(左)と緒方監督

【赤坂英一「赤ペン!!」】これが生みの苦しみなのか、広島・黒田が200勝を前にして足踏みを続けている。198勝目がかかった3日のソフトバンク戦では、自身初の3者連続本塁打を浴びてKO。4試合続けて勝ち星に見放されたままだ。

 

 そこで私が思い出したのが、広島で黒田の前に200勝を達成した先輩、北別府学の198勝目がかかった試合である。1992年6月10日、旧広島市民球場での巨人戦だった。広島が2―0とリードし、北別府が散発3安打の無四球で迎えた9回、先頭の緒方耕一を左翼へのハーフライナーに仕留めたかに見えた。

 

 ところが、その打球が照明と重なり、左翼手が捕れずに二塁打になってしまった。このとき守備固めで左翼に入っていた外野手こそ、現外野守備走塁コーチの河田雄祐である。記録の上では二塁打となったが、どう見ても河田のミスだった。

 

 試合はここから一気に暗転。北別府が無死一、三塁のピンチを招いて、山本浩二監督が大野豊に交代する。が、その大野が岡崎郁に左前ヒット、さらに原辰徳に3ランを浴びて逆転負け。北別府の198勝目はあえなく消えた。200勝達成が延びただけでなく、長谷川良平(故人)を超え、当時の球団最多勝になる大記録が本拠地での達成寸前でついえたのである。

 

 試合後、河田はうつろな目をして、何を聞かれても生返事しかできない。そんな河田と球場を出たあと、私は繁華街の流川で飲んだ。現監督の緒方孝市も顔を出し、バーのマスターらと一緒に河田を励ました記憶がある。当時、河田24歳、緒方23歳、私は29歳だった。

 

 翌日、河田が北別府に頭を下げても、いい顔はされなかった。昔の広島にはミスした若手を先輩が慰めるような習慣などなかったのだ。そうした中、河田は7番レフトでスタメンに抜てきされた。試合前のシートノックの直前に言われたときは、足が震えるほど緊張したという。試合では広島の天敵だった槙原寛己から2安打。ミスを取り返させてやろうという山本監督の親心に応えた。

 

 河田はいまでも、「北別府さんの198勝目を消したミスを忘れたことはありません」という。そんな控え外野手が今年から外野守備走塁コーチに就任、緒方監督の相談相手となり、黒田をもり立てていることに、私は因縁を感じる。なお、昔よく河田と一緒に飲みに行った「P」は現在も流川で営業中だ。