上原浩治「中継ぎピッチャーズバイブル」

 レッドソックスの上原浩治投手(41)は今季でメジャー8年目、ブルペンへ配置転換となってから7年目だ。その間、右ヒジ、左ハムストリングなどの故障、右手首骨折と何度も野球生命の危機に直面したが、全て乗り越えた。41歳になった今もメジャーリーグの第一線で活躍を続けられているのは、日常の努力の積み重ねであることはいうまでもないが、仲間の存在も大きい。ライバルとして争っただけではなく、チームの勝利のために助け合ってきた。

 セーブやホールドだけではなく、登板数もブルペン投手の仕事ぶりを表す指標の一つだ。上原は36歳だった2011年にオリオールズとレンジャーズの両球団で65試合に登板。12年は37試合だったが、レッドソックス1年目の13年はレギュラーシーズン73試合、ポストシーズン13試合の計86試合に登板。ワールドシリーズも含め4度の胴上げ投手になった。14年は64試合、15年は右手首骨折の影響で43試合だった。だが、実労働はそんなものではない。肩はつくったが、結局投げなかった試合も含めると相当な数になるからだ。想定した登板に向けて最大限に上げていたテンション、アドレナリン、集中力が行き場を失い、反動で何らかのダメージを受けてしまうことだってある。

「こっちは日本みたいに(先発投手が)完投するという文化でも時代でもないし、完投なんて10試合に1試合もない。だから年間(162試合中)150試合くらいはブルペンの誰かが投げていることになる。そういう中で、失敗したら(ブルペンの)誰かにケツを拭いてもらわないといけないので、失敗しないようにやっているだけ。だから投げたらキチンと自分の役目を果たすということが仕事。果たせなかったら他に迷惑がかかりますから」

 一方で上原は「100%抑えるなんてことは無理」とも話す。だからこそブルペン投手に必要なのは“助け合うこと”だという。

「ブルペンはブルペンだけで練習している。いやが応でも毎日顔を合わせて練習しているので、先発とは違いますよね。仲間意識というのは、多分、他のポジションよりもあると思いますよ。それはどのチームも一緒やないですか。みんな一緒に固まっていますからね」

 この6年間、多くの仲間と助け合い、生き残りをかけた戦いを続けてきた。田沢純一投手(29)とはチームメートになって4年目になるが、ブルペン投手がメジャーでそれだけ共に過ごすのは珍しいケースかもしれない。

 今年からクローザーのキンブレルが加わり、上原はセットアッパーに回った。上原は昨年8月に右手首を骨折し、故障者リスト入りしたままシーズンを終えたため、チームは昨年オフに「抑えもできる投手」を保険として獲得する必要があり、結果的にパドレスから打診されたキンブレルのトレードを受け入れた。

 上原の中には、仕方がないという思いと同時に、悔しさもあるだろう。3回の攻撃が終わると一緒にブルペンへ移動するキンブレルについて「パワーピッチャーやね。あとは、う~ん、分からないですね」。ライバル心がにじむ。

 かつてのチームメートの多くは年下だが、引退したり、現役続行の意志はあるものの、FAで所属なしの選手も少なくない。ブルペン投手として5年、6年とプレーすることは容易ではないからだ。上原は「ボクだっていずれというか、今年で終わるかもしれないし、来年で終わるかもしれないからね。誰にでもいずれ終わる時が来るわけで、それが早いか遅いかの違いだけ」。

 では、その違いはどこから生まれるのか。オフ、キャンプ中、もちろんシーズン中も準備や体調管理に余念がない上原はこう話す。

「準備というのはみんなやっていることで、それぞれのやり方がある。ケガをするのだって遊んでいてケガをするわけではない。たまたまケガをするわけであって、みんなそれぞれの管理をしている。ケガとは隣り合わせの中でやっている。結果が出る、出ないは、運もあることやし仕方がないこと。一番大事なのはプロセス。でも、そこは一番報道されない部分やと思う」

 長く活躍している投手に共通するものはあるのか。納得の答えが即、返ってきた。

「自分をよく知っているってことと、他人に流されないってこと」

 シンプルだが重い言葉だ。