大下剛史氏「西田打撃コーチとの出会いがなければ今日の新井はなかった」

2016年04月27日 16時00分

キャンプで大下氏(右)の指導を仰いだ新井(2015年2月)

【大下剛史「熱血球論」】広島・新井貴浩内野手(39)がここまで来れたのは、素直で明るい性格と丈夫な体があったからだ。初めて出会ったのは駒沢大の1年生のときだが、守備はヘタだし、足も速くない。取りえといえば、少し力があって大きな声を出すことだけ。ただ、どんなに厳しい練習にも耐え、ボロボロになっても、彼が「痛い」という言葉を口にしたことはなかった。

 名球会入りした選手はたくさんいるが、新井ほど多くの人に面倒を見てもらった者もいないだろう。プロ入り後、最初に世話になったのが、現在は四国アイランドリーグplusの香川で監督を務めている、当時の打撃コーチ、西田真二だ。

 あまりにも打球が飛ばないので、ヘッドコーチだった私が「新井を二軍に落とそう」と提案した際に「元気があるうちは一軍に置いといてええじゃないっすか」と“待った”をかけたのが、西田だった。もし、あのタイミングで二軍落ちしていたら今日の新井はない。担当コーチだったとはいえ、あれだけ熱心に付き合ってくれる指導者に出会えたことも新井にとっては幸運だった。

 意外なところでは、巨人の二軍投手総合コーチを務めていた宮田征典さんにもお世話になっている。同じ宮崎で春季キャンプをしていたこともあり、お願いしてキャッチボールもろくにできない新井の投げ方を見てもらったのだ。

 インターネットなどで昔の映像を確認してもらえば分かると思うが、テークバックの小さい新井のスローイングは「8時半の男」によく似ている。入団時に教わったフォームは今も変わらない。義理堅く、愚直なまでに貫き通す姿勢も新井の“らしさ”である。

 また、お世話になった人たちへ、ゆかりのある地で恩返ししているのも彼の恵まれた一面だ。入団1年目の中日戦でプロ初本塁打を打ったときもそう。舞台となった浜松は駒大時代の監督、太田誠さんの故郷で、せっかくだからとスタメンで起用したら左中間席に放り込んだ。あの一発は自信になっただろうし、太田さんも喜んでくれたはずだ。

 本人は必死でも、ときにそれがコミカルに見えて、周囲の笑いを誘う。それでも人の3倍も4倍も練習して結果を出し、実績を残してもテングにならない。だからこそ、人からも野球の神様からも愛されるのだろう。

 こうして2000安打を達成できたのは、多くの人たちの後押しがあったからで、何よりもその機会を与えてくれたカープのおかげだ。「10回に1回でも当たれば飛ぶ」とドラフトで指名してもらい、FAで阪神に移籍しても、再びチャンスを与えてもらった。

 立派な金字塔は打ち立てたが、これで終わりではない。残りの現役生活を地元でもある広島で全うして、しっかりと恩返しをしてほしい。

 (本紙専属評論家)