23日に肝臓がんのため死去した元ロッテ監督・山本功児氏(享年64)の訃報が、悲しみを広げている。現役時代は巨人、ロッテでプレーし、引退後はロッテで監督、巨人でヘッドコーチなどを務めた。山本氏だけでなく、息子の武白志(DeNA育成)とも関係の深かった、本紙評論家の前田幸長氏が故人をしのんだ。

 熱血漢だった。プロ入りした当初のロッテ時代、一軍打撃コーチを務めていた山本さんに怒鳴られた場面が昨日のことのように思い出される。

 ある試合で先発しながらもふがいなくKOされ、ふてくされた態度を見せていると「何やってんだ!」。烈火のごとくカミナリを落とされた。

 若気の至りで誠に恥ずかしいが、まだプロとして半人前だった自分を、担当外の打撃コーチの身でありながら、親身になって人間教育してくれた。怒ると鬼のように怖い。しかしそれは、山本さんの野球に対する情熱の裏返しであることに、年を重ねていくうちに気付くようになった。

 2004年から2シーズン、巨人でヘッドコーチを務められた山本さんと再び同じユニホームを着た。ただ、当時の巨人は低迷期。人知れずまとめ役に奔走し、苦悩されていた姿がいまだ脳裏に焼き付いている。

 現役引退後も、ご縁があった。私が主宰する少年野球チームの「都筑ジャイアンツボーイズ」で当時中学生だったご子息・武白志くんを預からせていただいた。「前田、頼むわ。面倒見てくれ」。山本さんから、そんな一本の電話を受けたことがきっかけだった。

 投手兼4番で活躍し、日を追うごとに成長していく武白志くんを見ながら、山本さんはいつもうれしそうな笑みを浮かべていた。週末に行われる試合や練習には必ず観戦に訪れ、グラウンドの息子さんに向けられる人一倍大きな声援が、いつもベンチにまで響いていたほど。山本さんにとって武白志くんは目の中に入れても痛くない自慢の息子であり、分身でもあった。

 ベイスターズに入った武白志くんが支配下選手の座をつかみ、一軍に昇格する日を見届けられなかったのは、きっと心残りだったと思う。まだ64歳。本当に早過ぎる。でも、どうか天国からも変わらず息子さんにいつもの口グセでゲキを飛ばしてあげてほしい。「そんなのアカンぞ!」と――。(本紙評論家)