掛布VS宇野「大敬遠合戦」の真実

2016年02月06日 06時00分

敬遠合戦の真実を明かした掛布二軍監督(左)と宇野氏

【宇野勝・フルスイングの掟:スペシャル対談=前編】キャンプ真っただ中の4日、スペシャル対談が実現した。28年ぶりのタテジマ復帰、若手育成に燃える阪神・掛布雅之二軍監督(60)と元中日、ロッテの本紙評論家・宇野勝氏(57)。1984年に阪神、中日両軍による前代未聞の大敬遠合戦の末、セ・リーグ本塁打王を分け合った因縁の2人が時を経て阪神二軍キャンプ地の高知・安芸市営球場で…。

 宇野:今日はよろしくお願いします。

 掛布二軍監督:まさか宇野にインタビュー受けるとは思わなかったよ(笑い)。宇野とはホームラン争いで10打席連続フォアボールもあったな。

 宇野:そうですね。カケさんはあの時どう思っていたんですか。

 掛布:中日の監督は山内(一弘=故人)さんだろ。俺、ヤマさんに「勝負してください」って言ったの。(当時、阪神の監督だった)安藤(統男=現評論家)さんも「勝負してくれ」って言いに行ったの。そしたらヤマさんが俺のことを見て「おい、カケ。1球がいいのか? 4球がいいのか?」って。「何スか、それ?」って聞いたら「1球だったらぶつける」って言うんだよ。「絶対に宇野にホームラン王を取らせる」って。

 宇野:そんなことがあったんですか。でも、僕は山内さんから何も言われてないですよ。ひと言もなかった。

 掛布:そうなのか。でも、みんな敬遠してきたやろ。

 宇野:そうですね。鈴木(孝政=現評論家)さんが敬遠していたのがちょっと…。

 掛布:あいつ最多勝がかかってたんだよな。それが、いきなり(敬遠)だもんな。

 宇野:あれはちょっと困りましたね(84年の最多勝は17勝で大洋・遠藤一彦=現本紙評論家。鈴木は16勝)。

 掛布:俺、あのとき(10月3日の中日戦=ナゴヤ球場)3番でいったんだよ。試合前に安藤さんが「申し訳ないけど、3番打ってくれ」って。「何でですか」って言ったら「中日の出方を見たいんだ」って。3番なら1回表に確実に打席が回ってくるからって言うんだよ。だったら、俺は「代打で1回1打席にしましょうよ」って言ったの。

 宇野:あー。そういうのもありだったんですね。

 掛布:そしたら、おまえの方が全イニング(出場)がかかってるからダメだって言いだしたの。あのとき、全イニング出てたやろ。

 宇野:ああ、そうだそうだ。

 掛布:それに、あの年、宇野は阪神のピッチャーをよう打ったんだよなぁ。

 宇野:前に話したことがありましたけど「あのとき、俺は調子良かった」ってカケさん、言ってましたよね。

 掛布:俺(9月下旬に)6試合で4本くらい打ったもん。それで宇野に追いついたんだよね。俺は、もう絶対の自信があった。しかも次は(狭い)ナゴヤ球場だから。上に上げりゃ入るから。そしたらヤマさんが絶対に勝負しないんだもん。ただ俺はね、その判断というのは理解できるんだ。ヤマさんは「ここまで中日を引っ張ってきた宇野に、ホームラン王というタイトルを取らせるというのは親として当たり前だ」って言ったの。あの当時はみんな(両軍の敬遠合戦を)非難した。その時、西本(幸雄=故人)さんだけだよね、「俺も同じことした」って言ってくれたの。「親として子供を守るのは当然だ」って。ただ運悪く、流れ流れて最後2つ続けて中日と阪神の試合だったというのがね。

 宇野:そういうことですね。

 掛布:テレビの取材が嫌でねぇ…。ただ、その年、広島の(山本)浩二(現評論家)さんに言われたの。「カケ、俺は今年はダメだ。宇野にタイトルを取られても構わん。だけど、タイトルを取る厳しさを教えなアカンぞ。タイトルはそんなに簡単に取れないっていうことは、おまえが俺から取って分かっているだろ」って。浩二さんは覚えてないかもしれないけどね。だから、俺はあの年は打率2割7分ぐらいしか打ってなかったもん。最後はホームランしか狙ってなかったから。宇野とは4本ぐらい差があったから、自分なりに追いつかないまでも1本ぐらいまでの差にはしたいとね。

 宇野:そういう話があったんですか。

 掛布:宇野の方が37本で止まってたんだよな。それから俺がバンバンといって。甲子園(9月26日、大洋戦)で遠藤からライトスタンドに37号を打ったの。打った瞬間に入るホームランだったので「やった!」ってね。それはタイトルを取ったうんぬんじゃなく、並んだということじゃなくて、前にタイトルを取った人間として苦しませてやりましたよ、ということ。浩二さんに言われた役割はできたな、と思ったの。「浩二さん、やりました」って意味だね。

 宇野:僕はまだ若かった。25か26ぐらい。プロの世界もそんなに長くやってるわけじゃないから「いいんじゃない。勝負すれば」と思っていた。まだまだ俺には、チャンスがいっぱいあると思っていた。

 掛布:でも、ヤマさんはそう考えてなかった。宇野の野球人生の中でタイトルホルダーになることは全然違う。ヤマさんはバッター出身だから分かっているよね。タイトルを取らせることで宇野の来年が絶対に変わると信じていたわけだよ。

 宇野:確かに。その次の年(85年)のほうが(自分の)ホームランの本数(41本)も増えました。

 掛布:周りの人はいろいろ言う。これは中に入って監督という立場にならないと分からないと思う。

 宇野:もしも掛布監督だったらどうしました。

 掛布:俺は勝負しようって言うよ。俺は守ることもなく勝負するよって選手も納得させるし…。まぁ、あの時は消化ゲームだったからな。今はクライマックスシリーズとかもあるから。ただ宇野とはいい経験をした。だから、そういういい勝負ができる選手をこれから育てていきますよ。

◇敬遠合戦=1984年シーズン、阪神・掛布と中日・宇野は37本塁打で並んだまま、10月3日(ナゴヤ球場)、5日(甲子園)に“直接対決”。阪神、中日ともに、この2試合でシーズン終了という状況で繰り広げられたのが敬遠合戦だった。3日の試合では、宇野が満塁の場面でも歩かされるなど、5打席連続敬遠。掛布もまた5打席連続で敬遠された。両軍ともに、すでに順位は決まっており、それぞれにタイトルを取らせたい思いからだったが、ファン無視の出来事にスタンドにはブーイングが渦巻いた。この事態にセ・リーグの鈴木会長も憤慨し、5日の試合を前にして通常通りの戦いを要望。だが、最終戦も同じシーンが続いた。5日も掛布、宇野ともに5打席連続敬遠。結局、10打席連続四球のプロ野球新記録(当時)をマークしてタイトルを分け合ったが、試合後、怒りのファンがグラウンドに飛び出す騒ぎにもなった。

(後編・掛布流育成法につづく)