日本文理 準Vエース伊藤直輝の変わらぬ笑顔

2016年01月31日 10時00分

プロの夢は捨てていない伊藤

【気になるあの人を追跡調査!野球探偵の備忘録(7)】「野球はツーアウトから」――。この格言を地で行く名勝負として、人々の記憶に深く刻み込まれたのは2009年夏の甲子園決勝だ。名門・中京大中京(愛知)と日本文理(新潟)の試合は、中京大中京が10―4でリードのまま9回二死走者なし。ここから日本文理は驚異の粘りで1点差まで詰め寄った。社会人の名門で野球を続ける日本文理のエースが、あの夏を振り返った。

 

「あの9回は体感にして1分ぐらいの出来事。無心で夢中、何も考えられなかったです」。日本文理のエース・伊藤直輝(24)は伝説の試合をそう振り返る。ドラマは4―10と6点のリードを許した9回二死から始まった。

 

 あと一死で敗北の日本文理は四球、二塁打、三塁打と粘り6―10。しかし、4番吉田がファウルフライを打ち上げ試合終了かと思いきや、三塁手がこれを見失い落球する。動揺した中京大中京のエース・堂林翔太(24=広島)は死球を与え、代わった森本も四球。4点差二死満塁のチャンスで、伊藤に打席が回ってきた。

 

「ネクストから徐々に聞こえ始めて、打席に入ったときにはもう…。鳥肌が立ちました」。バックネット裏の一般席を中心に「イトウ!」「イトウ!」と、聖地を包む大「イトウ」コール。異様な雰囲気のなか、伊藤は2点タイムリーを放ち一塁上で雄たけびを上げた。その後、代打石塚も適時打を放ち9―10。ついに1点差まで詰め寄った。

 

 同点のランナーとなった伊藤は三塁からホームを見た。打席には小学校から9年間バッテリーを組んできた8番・若林。「今思うと、あの終わり方は初めから決められていたのかな。甲子園に来る前に、若林からは『もう野球はやらない、高校で最後』と聞いていたんです。2人で野球を続けられるのはこれが最後。あいつにとっても最後の打席で、自分の目の前で試合が終わった」。親友の放った痛烈なライナーは、伊藤の目の前で三塁手のグラブに納まり、三直でゲームセットとなった。

 

 試合後、敗れた伊藤は笑顔、勝った堂林は涙を流した。「『お疲れさま。ナイスバッティング』って声をかけたら、泣きながら『ナイスピッチング』って(笑い)。『ナイスピッチングはないだろ』と思いましたね」。堂林とは今でも連絡を取り合い、遠征先が合えば食事に行くという。

 

 この惜敗は後々の糧になった。「『あと一歩で優勝できたのに、なんでもっと点を取られない投球ができなかったんだ』とか『それ以前に、甲子園で5試合、6試合投げられる体力をつけておけば』とか。半年後、1年後に徐々にそういうこと考えるようになってきて、目的意識を持って練習に臨むようになりました」

 

 甲子園大会の前から決まっていたという進学先の東北福祉大では、3年秋から主将を任されるも4年生のときに右ヒジ靱帯を損傷。靱帯移植の大手術、トミー・ジョン手術を受ける。「本当につらかったですね。卒業後はプロか社会人に行くかで揺れていたなかでの故障。結果的にプロも諦めざるを得なかった」。現在は社会人の名門、ヤマハで練習に励む日々だ。

 

「まだプロでやりたい気持ちはあります。でも、プロに行ってケガをして職を失うのか、それとも社会人で長く続けるのか、すごく迷っている。独り身だったら挑戦したいけど、家族のこともあるので」

 

 昨年、高校時代の同級生と結婚。息子も生まれた。「わからない土地、わからない環境で、子育て、食事、生活面、帰る時間がまちまちでもそれに合わせてご飯を作ってくれる。『夢を諦めないでほしい』って。妻には本当に感謝しかないです」。大黒柱として稼ぐこと、チームの主戦として投げること、そして都市対抗野球、日本選手権で優勝することが今の目標だ。

 

 甲子園の歴史にその名を刻んだ日本文理の激闘。その象徴とも言える伊藤は最後にこんな話をしてくれた。「実は、試合が終わってスタンドにあいさつするとき本当は泣きそうだったんです。そしたら監督に頭をポンと叩かれて『泣くな。笑ってろ』と言われて。試合前から『どんな結果でも笑って新潟に帰るぞ』って言われてたのを思い出して。若林と堂林は号泣でしたけど(笑い)」。あの夏と同じ笑顔だ。伊藤の挑戦はまだ終わらない。

 

☆いとう・なおき=1991年4月16日生まれ。新潟県関川村出身、小学校3年生から関川スポーツ少年団で捕手として野球を始める。小学校4年で投手に転向、以来高校まで若林尚希とバッテリーを組む。関川中では1年秋からエース、3年生で新潟県大会準優勝を収める。日本文理進学後は1年秋からエース。3年春にセンバツ出場。同年夏の甲子園ではチームを新潟県勢初の準優勝に導く。高校卒業後は東北福祉大に進学。3年秋から主将を務めるも右ヒジを故障、靱帯移植手術を受ける。現在は社会人野球のヤマハに所属。最速145キロ。177センチ、80キロ。右投げ、右打ち。