メジャー斎藤の出発点は「打てなかったら投手転向な」

2012年03月22日 15時30分

【プロ野球:オレの転機(3)】今季、メジャー7年目のシーズンを迎える斎藤隆(ダイヤモンドバックス)にとって、最大の転機となったのは東北福祉大学2年の秋。控えの野手だった斎藤はある試合中、伊藤義博監督(当時)からこう告げられた。


「代打で出す。だが、打てなかったら、投手転向な」


 結果は二塁への併殺打。「野手失格」のレッテルを貼られた斎藤は当時をこう振り返る。


「もう挫折感しかありませんでした。実家(工務店)の仕事を手伝おうと思いましたね。実は自分でも限界を感じていたんです。周りの選手はとにかくすごかったので」


 1学年上には矢野燿大(元阪神)、金本知憲(阪神)、2つ上には佐々木主浩(元マリナーズ)ら、後にプロで活躍する選手がごっそりいた。最後のチャンスを生かせなかった斎藤は投手転向を受け入れるつもりはなく、父親に大学中退を申し出る覚悟を固めた。だが、1週間ほど経過すると、少し楽な気持ちになった。
「どうせ辞めるにしても、最後、ブルペンに入ってみよう。どうせダメなのは分かっているから、やるだけやってもう終わりにしよう」


 そこから野球人生は急転する。投手として開花するのに、さほど時間はかからなかった。


「3年の秋には神宮でユニホームを着て、社会人チームがオファーをくれているということを言われ、4年の春には143キロ出て、急にプロがドラフトで、みたいな話になり、4年の秋には1位で獲りたいという球団があるとかの話になり…。そこからの人生があれよという間に変わってしまいました。もし、あの時にヒットを打っていたら、人生変わっていたでしょうね。ほんと奇跡的ですよ、僕の野球人生は」


 斎藤は声のトーンを落とし「後から聞いた話ですが…」と、こう続けた。

 

「あの日の試合前、ランチを終えた僕が早めにグラウンドに出て、ブルペンで遊ぶように投げていたのを、弁当を食べていた(伊藤)監督が見ていて、あれは誰だって話になったらしいんですよ。それが監督の思いつきなのか、すごい眼力なのか、とにかく、僕を見抜いてくれたんですね」——。

 

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