【赤坂英一「赤ペン!」】近い将来、レッドソックスの上原が巨人に復帰するのではないか。実現するとしたら投手コーチとして、ひょっとしたら投手として現役の晩年を飾るために。高橋新監督の船出を前に、私は秘かにそんな“初夢”混じりの期待を抱いている。

 高橋監督の就任が発表された直後、上原は自分のブログ(2015年10月24日付)で祝福の言葉を述べるとともに、「自分にコーチ要請はなかったからまだ現役で頑張ろうっと」とつづっていた。冗談めかしてはいたものの、いまなお親交の深い高橋監督への友情、ともに戦った巨人への“チーム愛”がひしひしと感じられた。

 もちろん、それだけで巨人復帰の可能性が出てきたと言っているわけではない。意外に大きいのが、ヘッドコーチに就任した村田真一の存在だ。

 上原は毎年オフ、高橋監督や松井秀喜氏と旧交を温めているが、実は、村田ヘッドも必ず連絡を取っている恩人のひとりなのだ。事実、オリオールズで投げていた2009年ごろから「日本に戻ったら、村田さんとはよくご飯に行ってます」と話していたものだ。

 村田は上原にとって、巨人に入団した1999年、自分をエースにしてくれた捕手だった。村田によると「上原が得意にしていたカーブを捨てさせたのがきっかけ」という。ナックルボールの握りで抜く独特のカーブで、上原は当初、これを決め球に使いたがった。が、村田に言わせれば、「真っすぐ、フォーク、スライダーよりよっぽど打たれやすい」。そこで「カーブ抜きで勝負してみよう」と諭すと、上原はそこから15連勝。最終的には20勝を挙げて最多勝投手となったのだ。

 正捕手が村田から新人の阿部に代えられた2001年も、上原は「おれだけは村田さんに受けてほしい」と言い続けた。そんなとき、「チームの方針なんやから、慎之助を育てるつもりで投げてやれ」と忠告したのも、やはり村田である。そういう先輩がヘッドコーチに就任、僚友だった高橋監督を支えていく立場になったのだから、おれも一肌脱ごう、と考えても不思議はないだろう。

 松井氏と同様、上原もメジャー移籍にあたって巨人と円満に別れたとは言えず、いまだに微妙な距離を感じさせる。そうしたわだかまりが、高橋監督の誕生で解消されれば、巨人ファンにとってこれほどうれしいことはない。障害は多いだろうが、ぜひ実現してほしい上原復帰の“初夢”だ。