【元虎番記者が悼む】中村勝広さん(享年66)が阪神GMに就任した直後の2012年秋、弊社にあいさつにやってきた時のことだった。

「そりゃ、いろいろ書かれましたわ。何てったって僕はオカマですよ、オ・カ・マ!!」。現在も阪神取材に動くある記者が駆け出し時代に書いた1990年代半ばの記事。もっと男らしい勝負タクトを振ってほしい、というチーム内の声を取り上げ、見出しに「オカマ」の3文字が躍った内容だったが、それを自ら懐かしそうに振り返り、いつものように「ぐわっはっは」と豪快に笑った姿が忘れられない。

 トラ番9年目の90年に中村政権が誕生した。チームは世代交代の過渡期に直面し、いきなり連続最下位。「普通はクビだろ。もう1年やらせてくれるんだから思い切ったことができる」と3年目の92年に新庄&亀山フィーバーを巻き起こして2位に躍進した時は本当にうれしそうだった。「いいか、二度とヘボ監督呼ばわりするな。これからは“大監督”と呼べ。ぐわっはっは」。私の頭を何度も叩きながら、ヘネシーをグイグイあおる笑顔が昨日のことのように思い浮かぶ。

 当時の故久万オーナーが「調整能力にたけている監督だ」と6年の長期政権を託したほど、組織論を重視する指揮官だった。「フロントがやろうとすることに、いちいち文句を言っても仕方がないだろ。それでチームが強くなるのか。俺はフィールドマネジャーに徹する」。92年以外はまさに暗黒時代。外野の声がやかましくなっても自らの信念は決して曲げなかった。現在の球界はGM制の導入など球団主導のチーム運営が主流だ。中村イズムは時代の先駆けだったのかもしれない。猛虎復活を胸に秘め、そのGMとして迎えた突然の最期。無念の思いは計り知れない。

 中村さんが好きだったオカマ記事の話には後日談がある。「名古屋駅の売店で、あの1面見出しを見た瞬間、心臓がドキッとしたんだ。実はな、前の晩に都内のオカマバーでドンチャン騒ぎをしててな。それが大スポにバレたのかと思ったんや。ぐわっはっは」。出入り禁止のペナルティーを科す怒り心頭の表情は真相隠しのポーズだった、と打ち明けると、また豪快に笑った。

 中村さんの監督時代の担当記者や球団関係者らで作る親睦会「バーボン会」は、毎年暮れに忘年会を開く。大の男たちが子供に帰り、昔話やカラオケで大盛り上がりなのだが、まさかこういう形で主を失うことになるとは…。中村さんが好んだ酒の飲み方のひとつは、氷がぎっしり詰まったアイスペールにヘネシーをどぼどぼと注ぎ、そのまま両手で勢いよくのどに流すこと。「どや、キンキンに冷えて最高やろ」。ヘネシーを焼酎に替え、今夜はこれでご冥福をお祈りさせていただきます。合掌。