【赤坂英一「赤ペン!!」】カープが先週末、巨人に3連勝して何とか首位戦線に踏みとどまった。その前のカード、本拠地で阪神に2連敗したときは、あまりに試合内容が悪かっただけにもうおしまいかとも思ったが。

 その2連敗した5、6日の試合は「ピースナイター」として行われた。

 5日は被爆2世のバレリーナ森下洋子さんが平和を祈願するメッセージを朗読。翌6日は「原爆の日」にちなんで緒方監督以下、チームの全員が胸にPEACE、背中に背番号86をつけた特別ユニホームで試合に臨んだ。

 セレモニーや演出は素晴らしく、広島出身の私としても非常に感慨深かった。だからこそ、結果が2試合ともに2―8と大差をつけられての惨敗だったのが情けない。

「ピースナイター」にかけるカープの選手たちの思いはあくまでも純粋だった。エースの前田健は2007年に入団したばかりのころ、自ら原爆ドームや平和記念資料館へ足を運んだという。

「誰かに勧められたわけではなくて、広島の選手になったからには自分の意思で見に行くべきだと思ったんです。8月6日を初めて広島の地で過ごしたときは、やはり何とも言えないおごそかな気持ちにもなりました」

 もうひとつの被爆地、長崎で生まれ育った大瀬良も、「原爆の日」には特別な思いを抱いているという。

「小学生のころから平和学習を受けて、原爆がどういうものかをずっと学んできたから」で、原爆が投下された8月6日午前8時15分には、寮の屋上で黙とうした。

 しかし、プロ野球選手がファンに勇気と感動をもたらすには、やはり何よりも勝つことである。そもそも、カープが広島の被爆者にとって希望の星となり得たのは、1975年に初優勝したからこそだ。当時主砲だった山本浩二氏は、私の取材にこう証言している。

「やっぱり、野球は勝たないとイカン。はっきり言うて、初優勝したときのワシら選手は、原爆がどうだとか、広島市民のみなさんの気持ちに応えなきゃとか、そんなことはまったく考えとらんかったよ。だって、毎試合毎試合、勝つのに必死やったからね。その結果として優勝できて、勇気や希望を与えられたんや」

 ちなみに、かく語った山本氏も被爆2世。ペナントレースはこれからが正念場だ。カープはいまこそ、ミスター赤ヘルの言葉を肝に銘じるべきだろう。