日本通算2000安打・松井稼頭央 今だから明かせる「夜遊びと自律」

2015年07月30日 10時00分

日本通算2000安打を達成した松井稼は美緒夫人(左)とニッコリ

 楽天・松井稼頭央外野手(39)が28日、ソフトバンク戦(秋田)の1回に中前打を放ち、NPB歴代46人目となる日本通算2000安打を達成した。2009年のアストロズ時代にマークした日米通算に加え、プロ22年目に到達した日本での金字塔。西武時代に1、2番コンビを組んでいた本紙評論家・大友進氏(41)が、今だから言える“弟分”松井稼とのマル秘エピソードを明かした。

 稼頭央おめでとう。自分が西武に入団した1995年からもう20年近くも弟のように接してきた稼頭央の偉業達成をうれしく思うのと同時に、これまで積み重ねてきた努力を考えれば当然のことだとも思う。

 まず、ここまで長く選手生活を続けている要因の一つに、その優しい人柄があると思う。自分より西武入団が2年早かった稼頭央には1年目のマウイキャンプから世話になった。社会人からプロ入りし右も左も分からなかった自分に、最初に声をかけてくれたのが稼頭央だった。

 練習が終わって「スーさん、ジャグジーに行きましょうよ」とさりげなく誘ってくれたひと言が、初めてのプロのキャンプでガチガチになっていた自分をどれだけ楽にしてくれたか。それをまだ高卒3年目で20歳そこそこだった稼頭央がしてくれた。

 上下関係が厳しいといわれるPL学園出身という以前に、そういう人柄だったことをすぐに知った。そのころからすでに周りに気遣いができていた稼頭央は人に対して、とても優しい人間で裏方さんを食事に連れて行ったりしていた。人望があるからこそメジャー3球団を経て楽天に移っても、キャプテンとしてチームの中心選手であり続けているんだと思う。

 稼頭央の成功の後を追うように左打者の自分がスイッチヒッターに挑戦した97年の秋季キャンプと翌98年の春季キャンプでは、慣れない右打席での恐怖を取り除くためにアイスホッケーの防具を身につけ、当時の土井正博打撃コーチに内角球を逃げずに踏み込んでいく練習をさせられた。休日が1日もない地獄の毎日に音を上げる自分に対し「スーさん、一緒に頑張りましょう」と励ましてくれたのはいつも年下の稼頭央の方だった。

 あの時は本当に何をするのも一緒。パ・リーグを連覇した98年の優勝旅行の直前の2週間では一緒に一般人に交じって合宿免許も取りに行った。2人とも寮生だったから一軍のナイターが終わると寮の外に毎晩のようにタクシーを待機させておいて、六本木かいわいを飲み歩いていた。

 ただ、稼頭央はどんなに試合が遅くなっても体のケアとウエートトレーニングを欠かさなかった。自分はそれをやらなかったせいで現役生活は9年と短命だったが、稼頭央はそれを苦しいとは思っていなかった。若いころから「もっと結果を出したい」「上に行きたい」という思いが誰よりも強かった。

 3割を打ったら次は「3割、20本塁打」、それを達成したら次は「トリプル3(3割、30本塁打、30盗塁)」と次々に高い目標を掲げて、全部クリアしていく有言実行の男だった。

 外見は自分と同じで少しチャラいところがあったけど、野球に対してはとにかくストイック。朝方まで飲んで帰ってきても毎日、早出特打ちをして試合後にはウエートトレーニングを欠かさない。後輩ながら本当に頭の下がる努力の人だった。

 打つことに関しては年齢とともにどうしても動体視力が落ちる。そこを今までの練習の貯金でカバーしている。若いころ、抜群の瞬発力を生んでいた柔らかく弾力性に富んだ独特の筋肉も落ちてきて体が細く見えるのはどこか寂しいけど、変わらぬ人柄と努力で積み上げてきた日本での2000本とメジャーでの615本は同じ時代に生きた自分にとっても誇りだ。

 今年からはチーム事情を考え自ら外野手へのコンバートを願い出た。そんなところにも人柄や順応性が出ていると思う。元外野手の立場から言わせてもらえば長年の内野手のクセで打者が打った瞬間に一歩前へ反応してしまうのをグッとこらえてワンポイント遅らせること。打球に対して直線的に入るのではなく円を描くように入ることで外野手としてまだまだ伸びる。さらなる活躍を期待しています。

(本紙評論家)