兄貴分・友利コーチが語る「和田2000安打秘話」

2015年06月13日 10時00分

通算2000安打を達成し、笑顔で記念ボードと花束を掲げる和田

 中日・和田一浩外野手(42)が11日のロッテ戦(QVCマリン)でプロ野球史上45人目の通算2000安打を達成した。42歳11か月での到達は谷繁元信(中日)が2013年5月にマークした42歳4か月を抜き最年長。大学、社会人を経た選手では古田敦也、宮本慎也(いずれもヤクルト)に次いで史上3人目だ。そんな和田の“秘話”を西武、中日で同じユニホームを着る兄貴分の中日・友利結投手コーチ(47)が語った。

 

 和田がドラフト4位で西武に入団し、1年目の1997年。当時、プロ11年目で横浜大洋から西武へ移籍したばかりだった友利コーチは今でも和田の強烈な印象を覚えている。ルーキーながら頭頂部の髪がほとんどなく、チーム内で「お前、若年寄りだな!」とすぐに“いじられキャラ”になったという。

 

「ベンちゃんの一番得しているのは、人に好かれていること。人当たりがものすごくいい。このベンちゃんというあだ名をつけたのは当時、西武ヘッドコーチだった須藤さん。みんな最初は和田、和田って呼んでいたけど、(演出家の)和田勉さんに風貌が似ていたことで、その人柄もあって1年目のキャンプが終わるころにはみんなからベンちゃん、ベンちゃんって呼ばれていた。後輩からも慕われていて普通は『和田さん』なのに『ベンさん』と呼ばれていたね。頭のことをいじられることを全く気にしていなかった。開き直っているというか、個性として自分で受け入れていた」

 

 こんなことも明かす。「ベンちゃんは酒は飲めるんだけど、体のことを考えているのか、シーズン中は飲まない。酒での失敗談は一度も聞いたことがない。これは最初に酒を飲まない伊東(勤)さん(現ロッテ監督)にかわいがられたのが大きかったのでは。伊東さんは1人でいても平気な孤独なタイプなのに、なぜかベンちゃんだけは受け入れられて、よく一緒に連れられていた。みんなから珍しいね、と言われていた」

 

 捕手として入団した和田だが、その後、外野手に転向した。

 

「ベンちゃんにはいわゆるズル賢さがなかったし、捕手としてはかなり厳しいものがあった。俺もバッテリーを組んだことがあったけど、キャッチングとか課題も多かった。その中で打撃に関してはいいものを持っていた。当時は左にいいバッターが高木大成、鈴木健…といっぱいいたけど、右が手薄な状態だったこともあって打撃で自分の生き場所をつかんでいった」

 

 転機となったのは伊原春樹氏(本紙専属評論家)が西武監督に就任した2002年。そのシーズンから外野手一本に絞り「5番・左翼」のレギュラーとして優勝に貢献した。そして07年オフにFAで中日へ移籍。3冠王3度の落合監督(現中日GM)のもとで輝きを増した。「正直、西武内ではそろそろ、ベンちゃんも落ち目なのでは、という声もあったけど、落合さんと出会ってまた変わったと思う。もし西武にそのままいたら2000安打は達成できていなかったと思う」

 

 絵美子夫人(35)ら家族の支えも大きかった。「モデルのようなきれいな顔とスタイルを持つ奥さんと結婚して“美女と野獣”とはこのこと(笑い)。この世界は家庭を顧みず生活感がない人も多いけど、ベンちゃんは典型的なサラリーマンプロ野球選手というか、家庭臭をすごく出す。子煩悩だし、ファミリーで戦っている感じ。ナゴヤドームでは試合観戦した奥さんや子供たちを車に乗せて帰宅する姿をよく見る」

 

 最後に友利コーチはしみじみとこう話した。「ベンちゃんは本当にまじめ。そういったところに人間的な魅力があってみんながついていくんだと思う。来る人間を拒まないけど、囲おうとは絶対にしない。ベンちゃんのことを悪く言う人はいないんじゃないかな」。性格の良さと努力、いろんな人との出会いが結実して生まれた2000安打といえそうだ。

 

 

 ☆わだ・かずひろ 1972年6月19日生まれ、岐阜市出身。県岐阜商、東北福祉大、神戸製鋼を経て96年のドラフト会議で西武から4位指名を受け、捕手でプロ入り。2年目の98年から捕手だけでなく外野手にも挑戦。2002年、外野手に完全転向し、05年に153安打、打率3割2分2厘で最多安打と首位打者のタイトルを獲得した。07年オフにFA権を行使して中日に移籍。10年には最優秀選手に輝き、リーグ優勝に貢献した。最高出塁率を1度、ベストナインを6度受賞。182センチ、90キロ。右投げ右打ち。