上原浩治「中継ぎピッチャーズバイブル」

 レッドソックスの上原浩治投手(39)が順調にキャンプを送っている。投手陣がキャンプインした2月21日(日本時間22日)にファレル監督は今季の守護神を確約。チーム開幕戦の3日前の4月3日に40歳を迎えるが、信頼は揺るがない。プロ17年目、メジャー7年目のシーズンに臨むベテラン右腕はある言葉をかみ締めながらマウンドに上がっている。それは――。

 上原を形容する言葉といえば巨人1年目の1999年に流行語大賞に選ばれた「雑草魂」、さらに「反骨心」が挙げられる。しかし、上原を支えているのはグラブの内側に刻印された「我慢」の2文字ではないか。

 健康で、かつ戦力となる救援投手なら、年間50~70試合に登板することになるが、準備するのはほぼ全試合。メジャーなら160試合近くになるだろう。だから上原はこう話す。

「打たれても、抑えても我慢。だから我慢は悪い時だけやない。いい時も我慢なんです」

 2014年は上原にとってもチームにとってもまさに我慢の一年だった。前年のワールドシリーズを制覇したチームは、開幕から投打がかみ合わないまま低迷し、7月末のトレード期限ギリギリに主力選手をごっそり放出した。事実上の消化試合を強いられた8月以降、選手、首脳陣やチーム関係者はつらい2か月を過ごし、結局、地区最下位に沈んだままシーズンを終えた。

 上原は「チームがこういう状態やったから、周りに流されない我慢とかがあった。まあ、毎年毎年我慢があるから、特別な我慢ってわけではなかったけど」と振り返る。

 上原は、グラブの内側に刻印されたその2文字を「試合中とかに見ることはないですね」と話すと、少し照れるようにこう続けた。「人に見せるもんでもないし。座右の銘? いやいや、そんなん特にないですよ」

 きっかけは何だったのか。上原は懐かしそうに振り返る。

「村田さんからもらった言葉。もう10年以上前になりますけどね。村田さんが引退した年にもらった言葉なんです」

 99年にドラフト1位で入団した上原にとって、当時の正捕手・村田真一(現巨人総合コーチ)の存在はとてつもなく大きかった。良いものは良い、悪いものは悪いと、白黒ハッキリさせる村田からのアドバイスが上原にはピッタリとはまったのだ。上原が投げていたナックルカーブに即ダメ出ししたのも村田だった。だから上原は01年に村田が引退する際、村田からキャッチャーミットをもらった。そして、ミットに記されてあった「我慢」の2文字を、翌シーズンから自身のグラブに刻んだのだ。

「審判(のジャッジ)に対する我慢とか、いろんなことがありますよ。でも、人生そんなもんですよ。別に野球選手に限ったことやないと思う。(家族と過ごす時間の少なさなど)プライベートでもそうやし。いい時ほど遊びたくなったり、好きなようにしたくなりますけど、そういう時こそ我慢。それも村田さんの教えですけどね」

 09年のメジャー移籍後、ケガや故障が続いたことで「一度は引退も考えた」という上原。オリオールズ時代の10年、先発から中継ぎへ転向したことが転機になったわけだが、その後も右肩上がりだったわけではない。何度も何度も我慢した。

 では、我慢の先には何があるのか。上原はこう答えた。

「良いものもあれば、別に大したことじゃないものもある。我慢すればいい思いをするかっていうと、別にそういうわけじゃない。(ワールドシリーズを制した)2013年はいい思いができましたけどね」

 とはいっても、何でも我慢すればいいというものではないようだ。ストレスをため込み過ぎれば心にも体にもマイナスに働く。

「ビールは1日2本までって決めています。飲み過ぎたら大変なことになりますから。それに、文句を言いたい時があれば、親しい人とか、口の堅い人には言えばいい。そんなんでストレスをためるんやったらね。まあ、いろいろやね、我慢をする時ってのは」

 そんな上原はワシントン到着直後、2月13日付のブログでこうつづっている。

「いよいよ始まるなぁ。フロリダに行くと雰囲気がそうなるからね。しばし、暴飲暴食も我慢しないとね。楽しかった時間も我慢。違う楽しさを満喫しよう よし、行ってきます!」

 上原は「アメリカに着いて気持ちが切り替わりましたね」と話す。好きなだけ飲んで、好きなだけ食べる――。そんな楽しいオフを満喫するために我慢と向き合う。