元担当記者か明かす古田氏「選手兼任監督」時代の秘話

2015年01月24日 16時00分

野村克也氏のレリーフの前でポーズをとる古田氏

 今年の野球殿堂入りが発表され、古田敦也氏(49)が選ばれた。

 

 古田さんで印象深いのはやはり、選手兼任監督のころ。「競技者」としては最後の最後、晩年の姿だった。球界随一と言われる頭脳派だけに周囲の期待も大きかったが、1年目は負け越しの3位で2年目は最下位。「代打オレ」が代名詞にもなったが、その場面はどんどん減り2006年は12回で07年はわずか7回。「なぜもっと代打で出ないんですか? ファンも盛り上がるし、試合の流れも変えられるのでは」と本人に聞いてみたことがあった。その時、古田さんはため息交じりにこう答えた。

 

「自分だって出られないことはない。出たい。でも練習して、ベンチの裏で一生懸命準備をしている若手を見ている。それを差し置いて、万全とはいえない自分が出られない。彼らにチャンスを与えたい。それは君も監督をやれば分かるよ」

 

 本来なら自身が出場することで勝てた試合もあっただろう。しかし古田さんは若手にチャンスを譲った。そうした「優しさ」が、競技者としての出場機会を減らすことになってしまった。そんな「優しさ」がオーダーの決定にも見え隠れした。選手の意見を最大限採用するため、当時主砲だったアレックス・ラミレスから提案された打順を参考にしたこともある。また、現場の声のみならず大リーグ事情に詳しい編成担当の意見を聞いたこともあった。当時大リーグを席巻し始めていた「セイバーメトリクス」を導入し、選手の能力を最大限に発揮させるためだ。しかし、残念ながら結果にはつながらなかった。

 

 当時の失敗を踏まえ、古田さんが再びユニホームを着るとしたら、今度はどんな野球を見せるのだろうか。非情采配? それともやっぱり…。競技者としてだけでなく、指導者としても成功した古田さんを、もう一度間近で見てみたいと思っている。