古田氏 野球殿堂入りの原動力は“悔しさや恥ずかしさ”

2015年01月24日 16時00分

若かりし日の古田氏(手前)は毎日のように野村氏の指導を受けた

 今年の野球殿堂入りが23日、東京都内の野球殿堂博物館で発表され、競技者表彰のプレーヤー表彰として、頭脳派捕手としてヤクルトの黄金期を支え、大学卒で社会人を経てプロ入りした選手として初めて通算2000安打、通算2000試合出場を達成した古田敦也氏(49)が選ばれた。プレーヤー表彰は有効投票数の75%(今年は249票)以上が必要で、古田氏は255票だった。指導者も対象のエキスパート表彰は該当者なし。

 

「このようなところに入れるとは思っていなかった。いろいろな方に感謝しなければいけない」。登壇した古田氏はそう語り、入団1年目の1990年から9シーズンにわたって師弟関係にあった恩師の名を挙げた。「プロに入って野村克也さんと出会えたのはラッキーだった。プロとして選手として、また捕手としてイロハのイから教えていただいた。本当に厳しい指導だったが、それがなければ成長していなかったと思っています。感謝しています」と語った。

 

 プロ入りには紆余曲折があった。立命大4年時のドラフト会議では事前に「1位か2位で指名」としていた球団があり、会見場には大勢の報道陣が集まったが、メガネの捕手という理由で敬遠された。悔しさや恥ずかしさ…。「生涯忘れない」と胸に刻んで努力を重ねた。

 

 ヤクルトの黄金期を支えつつ、グラウンド外でも1998年から05年までは日本プロ野球選手会会長を務めた。04年のプロ野球再編問題では選手側の雇用条件を守るべく猛反発するなどして一躍“時の人”に――。06年から07年までは選手兼任監督を務めた。

 

 この日はゲストとして1988年ソウル五輪でバッテリーを組んだ野茂英雄氏(元近鉄、ドジャースなど)も登壇。

 

「古田さんはプロに入って首位打者を取りましたが、アマチュア時代にはセーフティーバントしかしていなかった印象がある。いまだに、あのバッティングで2000本打ったことは驚いています」と旧知の間柄ならではの手厳しいスピーチを披露。場内を爆笑の渦へ巻き込み、さすがの古田氏もこれには苦笑いだった。