巨人・長野久義外野手(29)が2日、長野で行われた広島との首位攻防第1ラウンドで10試合ぶりにスタメン復帰した。痛めた右ヒザの状態は万全ではないが「1番・右翼」で出場すると、いきなり3安打1打点の大活躍。9―4の勝利に貢献したが、実は長野にとって、この日はチームを救う以外にも、どうしてもグラウンドに立ちたい理由があった――。

 長野で長野が大暴れした。初回に野村の出はなをくじく右翼線への安打を放つと、2回には左前へ技ありの適時打。7回には3本目の安打を右前へ運び、猛打賞の活躍でチームを力強くけん引した。

 正直、痛めた右ヒザはまだスタメン出場に耐えられるほど回復していない。試合中はヒザに力が入らず、バランスを崩す場面がたびたび見られた。チームスタッフも「まだリハビリ段階。守備や走塁は厳しい」と話す。

 だが、そこは責任感の強い男だ。「僕はこのチームで優勝したいんです。『痛くても絶対に出なきゃいけない試合がある』という(ソフトバンクの)内川さんのコメントを読みましたが、僕もそう思いますから」。首脳陣の期待を意気に感じ、強行出場を決断した。

 そんなおとこ気あふれる長野だが、この日はどうしても出場したかった理由がもうひとつあった。本紙に、長野が“暗黒計画”の一端を明かしたのは、打撃が上向き始めた初夏のある日のことだった。いたずらっぽい笑みを浮かべた背番号7は「この話、知ってますか?」と切り出すと「実は僕が巨人に入ったあたりから、長野県のことを“チョーノ県”と読む子供たちが増えているらしいんですよ~」と打ち明けたのだ。

 冗談かと、こちらが話半分に耳を傾けていると、長野は少し怒ったような顔で「本当ですよ!」。さらに「そういえば今年は秋に“ナガノ”で試合があるんですよね、フフフ…」と不適な笑みを漏らした。

 長野県を“チョーノ県”と呼ぶという話など、記者は今まで一度も聞いたことがない。そんな情報を長野はどこでつかんできたのか…。とにかく、長野は今回の広島戦で自分の存在をアピールし、“チョーノ県化計画”を前進させようとしていることだけは、その真剣なまなざしから十分伝わってきた。

 新人時代はファンから「ナガノさ~ん!」と何度となく呼びかけられ悔しさをにじませていたが、その後の目覚ましい活躍で、今は球場で名前を間違われることはなくなった。だが球界の物差しでは測れないのが、長野という男。G党に名前が知れ渡っただけでは満足できないということなのだろう。

 そのもくろみ通り、信州・長野で大いに「チョーノ」という名前を売ることに成功した。アンチ巨人の長野県民にははた迷惑な構想だが、いつか日本のすべての子供たちが長野県を“チョーノ県”と呼ぶ日まで――Gのカリスマ、長野の“暗黒計画”はこれからも続く。