すべてに心やさしい古関裕而記念館

2020年04月11日 11時00分

【ネット裏 越智正典】

 全国の33の信用金庫がつくっている「よい仕事おこしフェア実行委員会」が、2月21日に古関裕而氏作曲の校歌斉唱を動画撮影するプロジェクトを始めると発表した。

 古関氏が作曲された校歌は、高等学校の校歌だけでも母校福島商業をはじめ青森山田学園、会津高、喜多方工業、取手二高、静岡学園、宇治山田商工(現宇治山田商高)、彦根東高、北川工業、善通寺一高、戸畑高、久留米高、香椎工業、福岡工業、東福岡高、島原工業。

 私が福島市入江町の「古関裕而記念館」を訪ねたのは2008年の夏である。

 名曲のふるさとは美しい町だ。旧城下町。阿武隈川がゆったりと流れている。275メートルの信夫山が人々を迎える。昔、巨人の投手藤田元司は大相撲の「信夫山」をお手本にしていた。キレイな相撲を取っていたからだ。JR福島駅からバスに乗り、病院前で降りてメタセコイアの並木道を少し歩くと記念館に着いた。この記念館は福島市制80周年記念に1988年、福島市音楽堂の隣りに建てられて11月に開館。入場料は一般300円、小中学生100円。夏休みは小中学生無料。

 見上げると屋根がとんがり帽子に見えた。あの戦後、47年7月5日から始まったNHKラジオの連続放送劇「鐘の鳴る丘」(放送790回)古関裕而氏作曲の主題歌が聞こえてくるようであった。

「緑の丘の赤い屋根 とんがり帽子の時計台 鐘が鳴ります、キン、コンカン」

 日本放送協会編、刊、「放送五十年史」は「空襲で家を焼かれ肉親を失った子どもたちは敗戦後の街頭をさまよい、物乞い、モク(たばこの吸い殻)拾い、くつみがきをしながら生きていた。この問題を正面から取り上げた『鐘の鳴る丘』はヒューマンな内容が大きな反響を呼び、主題歌は子どもたちに愛唱された」

 この番組で戦災孤児「クロちゃん」になったのは実は私の友だちで、79年に古関氏が勲三等瑞宝賞を受勲されると、それは喜んだが、会うといつも「ハモンドオルガンを演奏された古関先生は本番前と本番後にポケットからお菓子を出してみんなに食べさせてくれました」

 1階ロビー、サロンはゆったりしていた。そばに車椅子が備えられていた。

 管野ひろみ学芸員がお茶をすすめてくれた。頂いていると64年の東京五輪の入場行進曲、氏作曲の「オリンピックマーチ」が流れて来た。2階は代表的な100曲が聴けるコーナーで、夏の甲子園大会の大会歌「栄冠は君に輝く」のボタンを押すと、福島出身の伊藤久男の力強い歌声を聞けた。1階ロビーに戻ろうとすると、エレベーターがあった。設計のときからお年寄りを思っている。古関裕而記念館はすべてに心やさしい、やかたであった。 =敬称略=