愛甲“与太伝説”甲子園Vパレードの翌日…風俗店でサイン会 横浜高時代の盟友が明かす

2020年02月01日 11時00分

横浜高時代を懐かしそうに振り返る安西氏

【気になるアノ人を追跡調査!!野球探偵の備忘録】2015年にスタートした本紙連載「野球探偵の備忘録」が今回、第100回を迎えた。足かけ6年、球界で“気になるあの人”を追跡調査してきた本紙探偵記者が向かったのは、全国制覇5度を誇り、数多くのプロ野球選手を輩出した高校野球界屈指の名門、横浜高校。かつては不良生徒の巣窟だった「ヨタ高」を夏の甲子園初優勝に導きつつ、札付きのワルとしても名をはせた愛甲猛の悪童伝説を、当時の盟友・安西健二が明かした。

「最初に言っときますけど、愛甲の話で世に出てるのは全部実話。誇張も何もありません。むしろヤバ過ぎて出せない話の方が多いくらい。野球部の中にワルがいるんじゃなく、ワルがみんなして野球やってたようなもんですから」

 2人の出会いは中学3年の秋。横浜高校入学前の練習参加で顔を合わせるも、お互いを同級生と認識する余裕もなかった。愛甲は入寮が周囲より遅かったこともあり、第一印象は決して目立つような存在ではなかったという。

「今でこそあんな感じ(コワモテ)だけど、当時は人見知りというか、進んで輪に入ってくるタイプではなかった。当時の小倉監督は愛甲を秘密兵器と考えていたみたいで、投球練習は僕らにも見せず一人だけ校舎裏のブルペンでやっていてね。6月くらいかな。いきなり練習試合で投げて度肝を抜かれたけど、それまではろくに話したこともなかった」

 エース左腕愛甲と1番セカンド安西。1年生コンビの活躍で、その夏横浜高校は15年ぶりの甲子園出場を果たす。監督はこの7月に、部長だった渡辺監督に代わっていた。一躍脚光を浴びた2人だが、それが苦難の幕開けだった。

「その年の冬、愛甲は故障、俺は内臓を壊して渡辺さんからしばらく練習を休むよう言われた。先輩を追いやってレギュラーになってプレッシャーもありましたし、体力的にも精神的にも疲労がたまっていた。ある日、仲の良かった同期から急に無視されるようになって、どういうことか問いただしたら『お前らとかかわると俺らが先輩からシメられるんだよ』と。それなら野球なんかやめてやると、2か月くらい学校にも行かずに遊び歩いていた」

 時を前後して、愛甲も寮を脱走。地元の悪友とシンナーを吸っているところを警察に保護され、渡辺監督が引き取り手として署へ赴いた。渡辺監督の辛抱強い献身に救われたのだと安西は言う。

「2人で部に戻って、そこから渡辺さんの家での軟禁生活が始まった。銭湯でお互いに『もう一度やり直そう』と10円くらいのT字カミソリを買って頭を丸めたんだけど、全然剃れなくて俺は頭が血まみれになってね。それを見ていた和彫りの入ったおっさんが『どれ、俺にもやらせろ』と言ってきて、愛甲が『やっぱり俺はいいや』とか言うもんだから俺ばっか剃られるわ、血は出るわ怖いわ…で散々だった」

 銭湯での誓いのあと「酒、たばこ、女、シンナーのうち、たばこ以外は全部やめて野球に打ち込んだ」という愛甲。だが、渡辺監督から主将に任命された愛甲は、今度はそのワンマンぶりで周囲と衝突する。

「お山の大将で『このヘタクソ』と平気でキツいことを言う。愛甲も好かれてなかったし、全体としてもすごく仲の悪いチームだった。でも、そのチームがユニホームを着たときだけは一つになる。エースとしての絶対的な信頼感、それが愛甲のカリスマ性だった。まあ、裏で必死にチームをまとめてたのは俺なんだけどね(笑い)」

 横浜高校を夏の甲子園初優勝に導いた愛甲伝説の中でも、ひときわ異彩を放つのが優勝パレード翌日の“ソープサイン会”。にわかには信じ難い話だが「それも本当ですよ」と安西は言う。

「学校のすぐ上に、すごくよくしてくれる建設会社の社長さんが住んでいて、よく練習をサボってはそこをたまり場にしていた。たまに遅くなった日はそのまま泊まっていったりしてね。その社長さんが、優勝祝いに連れていってくれた。俺は女の子から『あなたどこかで見たことあるわ』と言われてずっとかぶりを振ってたのに、終わったらアイツは嬢相手にサイン会をやっててね。こんなとこにいるのが広まったらマズいからと口止めしたんだけど、翌日も同じ店に行ったら、すっかり噂になってたとか」

 当時のアイドル的な人気はすさまじく、腕にナイフで愛甲の名を彫る女性が現れ「アタシとつきあいな」と迫るほど。学校の倉庫は野球部宛てのファンレターで埋まったという。時は流れ、2020年。その横浜高校も共学となり、4月には初の女子生徒が入学する。

「今の横高にはもちろん、ヨタ高にもヨタ高の良さがあった。漢気(おとこぎ)、硬派、バンカラ…。俺たちはヨタ高と呼ばれることを誇りに思ってた。どうしようもなかった俺たちの人生を変えてくれた。それが渡辺監督であり、ヨタ高だったから」
“ヨタ高”から今や高校球界屈指の名門となった横浜高校。時代が変わり高校野球の現場が様変わりしても、その教えは次の世代へと受け継がれていくに違いない。

☆あんざい・けんじ 1962年4月29日生まれ、神奈川県横浜市出身。小学校4年のとき三ツ池ジュニアで野球を始める。末吉中では軟式野球部に所属。横浜高校では同級生の愛甲猛とともに1年夏、3年夏と甲子園に出場し、3年夏に全国制覇。その後80年にドラフト外で巨人に入団。83年に戦力外になると土木関連の家業を継ぎ、現在は建築業を営む。166センチ、65キロ。右投げ右打ち。