耐えた原監督、爆発した松中

2013年06月25日 16時00分

ウエスタンリーグ、中日戦に勝利しナインとハイタッチする松中(中央)=18日

【名物アナ山下末則のスポーツ末広がり】その一報を耳にしたのは、テレビ中継のため福岡入りした直後だった。ソフトバンクが2年ぶり4度目の交流戦優勝を決めた今月13日に起きた、平成最後の3冠王、松中信彦のVセレモニーボイコットのことだ。生え抜きの大ベテランらしからぬ行動に、思わず耳を疑った。

 優勝セレモニーはチームの公式行事であり、組織の一員として欠席は許されない。ただ、その背景には、本人から時折聞かされていた不満のうっ積があったような気がする。

 3冠王を獲得した翌年の2005年から右ヒザに不安を抱えた松中は、08年こそ全試合出場したが、その後は09年に右ヒザ半月板手術をするなど故障との戦いが続いた。ここ3シーズンの出場は100試合にも届かず、成績にも「らしさ」が見られない。追い打ちをかけるように、外国人の長距離砲が毎年のように入団してきた。昨年、ペーニャが入団した際も「今年もあの外国人選手と戦わなければならないのか…」と自嘲気味に話していたことを思い出す。

 そうは言いつつも「負けるものか」と闘志をみなぎらせるのが松中だった。キャンプ前に毎年のようにグアムで体づくりに励んできたのは、結果で見返してやるとの思いが強かったからだろう。そんな熱い思いが、大差がついた場面などでの起用が続いたことで爆発してしまったのか。

 しかしながら、どんなに実績のある選手であっても晩年は大なり小なり悔しい思いをさせられることはある。現在は巨人で監督を務めている原辰徳だって、チャンスで実績の劣る長嶋一茂を代打に送られたことがあった。それが全てではないにせよ、屈辱に耐え、沈黙を守り抜いたからこそ、今日があると言っても過言ではない。

 ペナルティー的な意味合いを持った二軍降格から10日余りが経過した。冷静になって、自分のとった行動を見つめ直しているとは思うが、どんなに実績があっても、まずはチームの一員であるということを忘れないでほしい。

☆やました・すえのり=1948年3月14日生まれ。福岡県北九州市出身。宮崎放送を経て、81年に日本テレビ入社。巨人戦実況を中心に、スポーツアナウンサーとして活躍。テレビ野球中継初の槙原投手の完全試合を実況したことでも有名。箱根駅伝のメーンアナウンサーを8年間務め、陸上競技にも精通している。08年に日テレを退社。現在はフリーアナウンサーとしてソフトバンク戦や海外ゴルフの実況で活躍するかたわら、ビジネスマン研修会社を経営している。