98年秋田大会・金足農伝説の決勝戦 主将・吉田朋広が今だから明かす「あの試合は“アンタッチャブル”です」

2019年03月03日 11時00分

伝説の決勝戦を振り返った吉田

【気になるあの人を追跡調査!野球探偵の備忘録(81)】現日本ハム・吉田輝星擁する金足農の快進撃に、日本中が沸いた昨夏の甲子園。その金足農にはもう一つ「秋田のベストバウト」と称されながら、関係者の間で長らく“タブー”とされてきた伝説の試合がある。1998年夏の秋田大会、5回10点差を逆転した奇跡の決勝戦について「二度と思い出したくない」と語る当時の金足農主将・吉田朋広が重い口を開いた。

「うれしい気持ちよりも、苦い思い出。あの試合のVTRは一度も見ていないし、当時のメンバーで集まっても誰も口にすることはありません。正直、今もあまり話したくはないですね」

“金足農旋風”から20年前、日本中の球児が打倒・松坂に燃えていた夏。秋田ではひっそりと、伝説の試合が幕を開けていた。甲子園をかけた秋田大会決勝、カードは前年決勝と同じ金足農―秋田商だった。

「前の年は2―17で大敗。でも、そこまで力の差は感じなかった。新チームになってからは2勝2敗で、いずれも大差での勝負。だから、流れが動いたら誰にも止められない試合になるだろうなという予感はありました」

 金足農は立ち上がり、秋田商のエース・伊藤を打ち崩し、3回までに6点を先制。序盤の大量リードも、捕手の吉田にはまるで勝った気がしなかった。案の定、秋田商がジワジワと追い上げ、5回には打者16人12得点の猛打を浴びる。この時点で6―16。決勝でなければ、コールドゲームが適用される点差だった。

「もう真っ白ですよ。どこに構えても打たれて、ワケも分からずぼうぜん自失。私はその時点でもう諦めていて『あと何点取られるんだろう。30点かな? 恥ずかしいな』なんて考えていた。でも、全員が諦めてたわけじゃなかった」

 代わった3番手・2年生右腕の北嶋が好投すると、打線が奮起。7回に2点、8回にはランニング満塁本塁打で4点を加え、4点差まで追い上げる。9回に二死から5点を挙げ、ついに逆転。吉田も号泣しながらナインと抱き合った。

 だが、ドラマはここで終わりではなかった。

 9回裏、秋田商の攻撃。先頭打者の邪飛を追った吉田は、秋田商のベンチ前に飛び込む。顔を上げると、悲壮感に満ちた秋田商ナインと目が合った。

「お前らも意地見せろ!」

 気づけばスタンドに響くほどの大声で、秋田商ナインにげきを飛ばしている自分がいた。

「ライバルですけど、選手同士すごく仲が良かった。それもあって、あそこで諦めてほしくなかったんです。敵を励ますなんておかしな話ですけど、それでもし逆転されていても後悔はなかった。まあ、あれで最後の最後まで粘られることになったんですけど」

 二死走者なしから粘られて一、三塁に。一打逆転サヨナラもある場面で、ラストバッターを打ち取り勝敗は決した。スコアは17―16。金足農18安打、秋田商21安打の壮絶な打撃戦が幕を閉じた。

「あの試合、自分は途中で諦めてしまった。投手陣もあれだけ打たれて、いい思い出はないでしょう。秋田商のことを思うと、自分たちが勝ってよかったのかという思いもある。あの場にいた全員にとって苦い思い出で、自分たちも相手も監督も、誰もあの試合のことは話さない。話したくない、話しちゃいけない試合なんです」

 あの決勝の話題はいつしかタブーとなってしまったが、昨夏の母校の大躍進がカタルシスとなることを願う。

「秋田ではあの決勝が一番と言われることが多かったですが、私としては一番にしてほしくない、早く忘れてほしい試合。それを去年の金足農が昇華してくれました。これをきっかけに、もう話題になることがなくなれば…」

 長らく秋田のベストバウトとされながら、当事者たちが語るのをためらってきた奇跡の大逆転劇。新たな歴史が伝説を風化させるその前に、最後にここに書きとどめておきたい。

☆よしだ・ともひろ 1980年8月9日生まれ、秋田県秋田市出身。高清水小4年のとき、捕手として野球を始める。将軍野中では軟式野球部に所属。金足農では主将兼捕手として3年夏に甲子園出場。卒業後は社会人野球のJR東日本秋田支社でプレーし、2005年に現役引退。現在は秋田総合車両センターに勤務。170センチ、74キロ。右投げ右打ち。