試練続きだった飲食業転身&経営 美食家に愛される渋谷一の名店になるまで

2019年01月14日 11時00分

飲食業界で奮闘する和田さん

【和田孝志(元ロッテ投手)】「飲食店」といえば今も昔も生存競争が激しい。新しい店が次々とオープンする一方、閉店を余儀なくされる店舗も少なくない。そんな浮き沈みの激しい業界で10年以上闘い続ける元プロ野球選手がいる。東京・渋谷にある和ダイニング「美醤(びしょう)」の店主・和田孝志さん(48)だ。

 東洋大から1992年ドラフト3位でロッテ入り。プロ10年間での通算勝ち星は2勝に終わったものの、2002年の引退後はロッテのスコアラーや打撃投手、査定を担当。チームに欠かせない裏方として奮闘した。だが、05年のチーム日本一を見届けた直後に自ら退団。未経験だった飲食業に足を踏み入れることを決断した。

「ロッテに残る選択肢もありましたが、ちょうどそのころの野球界は1リーグ制問題が浮上し、ロッテは合併対象チームとして名前が挙がっていました。そうなると職員はいつクビになるか不安だった。それなら体が動くうちに自分の好きな道(飲食業)に進もうと。現役時代からおいしいものを食べるのが趣味であり、ストレス発散だったので」

 35歳で飛び込んだ飲食界。出だしから厳しい船出を強いられた。

 修業のため飲食店でのアルバイトに何件も応募したものの、年齢がネックとなりすべて門前払いされた。「バイト代にはこだわらない」と食い下がっても受け入れ先は見つからない。途方に暮れた和田さんは、すがる思いで飲食業を営んでいたロッテ時代の先輩・石井浩郎氏(現参議院議員)に相談。同氏が経営する銀座と恵比寿の店で働かせてもらえることになった。

「掃除から接客、バイトの管理などもやったので仕事は毎日キツかった。でも、恵比寿の店は立ち上げから参加させてもらえたので、内装や店舗運営などを一から学べた。この期間は独立に向けていい経験になりました」

 1年半の修業を終え、07年6月に念願だった現店舗をオープン。看板メニューである熊本の馬刺しや新鮮レタスのしゃぶしゃぶ鍋などが人気を呼び、店は順調な経営を続けた。ところが、再び試練が襲う。11年3月の東日本大震災だった。

「地震のあった当日は何とか営業できたのですが、翌日から店にかかってくる電話はキャンセルの連絡ばかり。しかも地震発生から2週間は関東全域が原発問題や計画停電などで外出自粛ムードになり、店にお客さんが来なくなってしまった。赤字だけが膨らむ一方だったので、一時は店を閉めることも考えました」

 存続か閉店か。究極の選択を迫られたが自ら決めた道。あきらめるわけにはいかなかった。

 少しでも赤字幅を減らそうと、店舗の大家に家賃減額を要望。それまで料理人や業者に任せていた食材の調達法も見直し、自ら仕入れを行うことでコスト削減と厳選素材の入手を可能にした。その結果、店は次第に活気を取り戻し盛況に。苦境から8年を経た今ではエリア随一の名店として美食家に愛されている。16年8月からは母校・拓大紅陵高(千葉県木更津市)のコーチを引き受けている。指導は平日夕方と土日。飲食業との掛け持ちは体力的に厳しいが、午前中から始まる食材調達、野球指導、店舗経営を怠ることはない。

「この3つをするため毎日車で100キロほど移動しますが、つらいとは思いません。皆さんに喜んでもらえる料理を提供し続けたいし、母校を甲子園に導きたいですからね」

 多忙な生活でも笑みが絶えない和田さん。柔和な表情には充実感がみなぎっていた。

 ☆わだ・たかし=1970年、埼玉県生まれ。拓大紅陵高から東洋大を経て92年ドラフト3位でロッテ入団。2002年に戦力外通告を受け現役引退。03年から球団スタッフとしてスコアラー、打撃投手、査定を担当。05年に退団。銀座、恵比寿の店でアルバイトを経て、07年6月渋谷・宮益坂に和食ダイニング「美醤(びしょう)」を開店。16年からは拓大紅陵高のコーチも務める。プロ通算成績は72試合2勝3敗、防御率3・67。身長177センチ、右投げ右打ち。家族は妻と2女1男。

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